24日の天気も快晴。
今日は野宿した波板海岸から女川町の旅館まで。
計画より先まで昨日は歩いたので、今日は今旅行最短の20kmの行程。
更に朝4:00前起床、5:00出発したため、午前中には女川町に着く。
昨日から十分な食事ができていないのでのんびり歩く。
9時前に女川港の端に着き日陰でブログ入力を始め、しばらくすると軽トラのおじさんが来た。
おじさんから話しかけられ、私の旅の話でビックリし、私からおじさんの津波後の話を尋ねた。
おじさんは71歳(60歳前後に見える!)の漁師で、津波で船2艘と自宅を流されたが、家族は無事だった。
現在はこれまで同居していた息子家族と別々に、妻と2人仮設住宅で暮らしているが、仮設が4畳半1間なので居間・寝室が兼用。
早く広い家で元通り息子家族と一緒に暮らしたいが、宅地造成の完成が何度も先延ばしになり、今は無力感しか感じない。71歳の身にはもう残された時間が少ないのだ。
しかし一年前まで仮設で何もせず暮らしていた時、息子が訪ねて来て、今のままだと身体を悪くするから身体を動かすことを勧めれて、漁師仲間から漁業を再開するなら国から9割補助が出ると聞かされ、また漁業を始める決断をした。
これまで漁業しかしてこなかったから漁業以外できないし、漁業再開を目指すことで、目標を持って生きられる。
今も無力感が強く、国は東京オリンピックより被災地復旧の加速に力を入れて欲しい思いはあるが、とにかく前を向いて生きることが大事で、息子の励ましに応えて生きる。
私はこの話を聞いて、かける言葉を見つけられなかった。ただ身体を大事にして頑張ってくださいと言うだけで、おじさんからは旅の励ましを頂いた。
数日前のブログにも書いたが旅行中に一番目につくのは、盛り土工事の作業。もっと早く、良い方法がなかったのか。過疎化の進む空家の利用や遊休農地の活用などで住む家を確保できればもっと早く進められたのではないのか。復興道路と銘打ち高速道路を作っているのも、優先順位は後で良いのではないのか?
話を聞いた漁師のオヤジさん (71歳!)
「海に奪われたから今度は海から取り返す番だ。」と言ってました。頑張れ!
昼食に立ち寄った「おかせい」
NHKで紹介された店? 約30分待ち。
高台途中の「鎮魂の花壇」で祈る人々
小さくて分かりにくいです。
4時55分 波板海岸を発
5時20分 女川町に入る
5時40分 道端で軽朝食
8時40分 女川の漁港で休憩
(女川の漁師さんと会話)
11時35分 女川駅に寄る
12時00分 魚市場おかせいで昼食
13時30分 女川の旅館に着
歩行時間 5時間00分
歩行距離 21km