天気 曇り時々晴
宿の朝食は7時半。
今日の移動距離は地図上で約36km、所要時間で約10時間を見込む。
食事後直ぐに出発できるよう荷物は事前にまとめておく。
8時過ぎに宿を出発。最終目的地到着は18時が目標。
昨日から足裏の痛みが増しており足の負荷軽減のため足をそっと動かす。
宿を出発して約1時間半後、朝に宿の会計をした男性職員が車で通りかかる。
「同乗しませんか」の誘いを丁重に断わる。
更に30分後、私を追い越して20mほど先で停車した車がいた。
私がそのまま進むと車から女性が出てきて「昨日泊まったお客さん?」と尋ねられる。
「そうです」と答えると、宿の食堂で夕食を提供した女性従業員だと言う。
昨日私の宿到着が遅れ、風呂より夕食を優先させて申し訳ないと話し、車の同乗を勧められる。
私は「気にしないで」と答え、歩く旅をしているので遠慮する旨を伝える。
朝日と飯豊で2度も下山後に車に乗り完歩目標は消えても、極力自力徒歩は続けたい。
福島県人の助け合いの暖かい気持ちは、旅継続の力強い励ましになった。
この日は午前中は曇り空が多く直射日光は少ないが気温は高め。
そして昼過ぎから時々日光が差し始める。
途端に身体が暑くなる。
昼過ぎに寄り道したスーパーで食料を買い足し昼食休憩を1時間とる。
スーパーで冷房に涼んだ身体を再び外気に晒すと、暑さが一段と堪える。
足裏の痛みを感じつつ目的地の裏磐梯を目指してひたすらコツコツ歩みを進める。
午前中は意識しなかった体温冷却だが、午後は農業用水路で2度ほど水浴び。
15時頃までは標高200m台を歩き続け、その先は標高900mまでの登り道。
スーパーで大休憩後は休まず歩き続け18時半過ぎに目的地までアト20分位。
その時、歩いている私の脇にパトカーが停車した。
2人の警官がパトカーから降りて私に質問をしてきた。
警官「何で歩いているのですか?」
私「青森から徒歩の旅を続けています。」
警官「家出人のケースもあるので、身元を確認できますか?」
私「免許証を持っています。」
免許証を出し、私の旅行計画書も見せて、疑いを晴らそうと努める。
警官「計画書もあって心配なさそうですが、一応本部に照会したいと思います。」
1人の警官は通信事情が悪い山の中であちこち動きながら携帯電話で通話を試す。
もう1人の警官は足止めしたことを詫びつつ、私の旅の経緯などを尋ねる。
10分ほどして本部と連絡が取れたらしく、疑いの晴れた私は無事解放された。
過ぎ去るパトカーを眺めながら、微かな怒りと複雑な感情が沸く。
夕暮れ迫り少しでも早く目的地に着きテントを張りたい時に何故、不審者扱いされる?
徒歩の旅は「みちのく潮風トレイル」と「四国お遍路」で2度経験済み。
みちのく+四国+今回で合計65日以上徒歩の旅をしている。
1日に最低2回~最高10回以上はパトカーとすれ違っている。
1日平均5回として300回以上パトカーと出会ってきた。
しかし1度もパトカーに呼び止められたことはない。何故今回は呼び止められた?
警官は家出人の疑いと言っていたが、歩いている人を全て家出人と疑うか?
あの「共謀罪」いや「テロ等準備罪」の影響なのか?
だとしたら一体不審者をどうやって見分けようというのか?
確かに私は2週間以上ヒゲをそらず服も汗で汚れ重そうなザックを背負っている。
しかし警官の方も共謀罪など対応の難しい法律が出来て困っているかもしれない。
真面目な警官ほど不審者を見逃さないよう一生懸命に取り組むのかもしれない。
ある意味で警官もこの法律で取り締まりに際限がなくなる犠牲者かも。
とりとめのないことを考えながら歩いていたら道の駅裏磐梯に到着。
今夜の寝床の候補の1つで、他にこの先30分の所のキャンプ場も候補地。
しかし時間は19時を過ぎているため寝床はここに決定。
幸い道の駅の営業は既に終了し、駐車中の車は3~4台で静かな環境。
雨の心配も出てきた夕闇の中で道の駅施設の軒下にテントを急ぎ設営。
宿の周辺には「そば処」の幟が多数
一風変わった宿泊施設の建物
「日本で最も美しい村」北塩原村役場
(日本で最も美しい村連合には全国で63町村が加盟)
08:10 いいでの湯・発
13:00 喜多方のスーパー (60分買物・昼食)
18:45 道の駅手前で警官の尋問 (10分尋問)
19:10 道の駅裏磐梯・着
歩行時間 9時間50分
歩行距離 38km