東日本徒歩旅8日目(H30年4月17日)

天気 曇り

今日は二本松市から川俣町、飯舘村を経由して南相馬市まで移動。
今日も長時間歩行なので時間が大切。
みどりや旅館の朝飯が6時半だったのは助かった。
しかしトイレ用足しで遅れ結局出発は7時20分。

9時に川俣町のコンビニに立ち寄る。
店を出て信号待ちをしていると反対側の信号の手前で自転車に乗った老人が倒れた。
荷台に積んだ箱買いした缶飲料の重みでバランスを崩した。
自転車と地面の間に足が挟まっているが、缶飲料の重みで自転車から足を抜け出せない。
信号が変わったので道を渡り、老人の自転車を持ち上げ足を抜け出す手助けをした。
私「大丈夫ですか?」
老人「足が挟まってしまった」
私「怪我ありませんか?」
老人「大丈夫」
少し痛そうな様子だったが気丈夫そうなおじいさんでしっかりした様子だったので私も問題なしと判断。
「荷台の重みで自転車のバランスが悪いから乗らないで押して行った方がいいですよ」と助言して別れた。
歳と共に様々な面で衰えが徐々に進行する。
自分も「明日は我が身」と自覚。

川俣町まで歩いて見た範囲内では原発の被害を感じる場面が少ない印象だった。
飯舘村に入ると様子が変わった。
私には飯舘村の中心部が分からない。
が新設の道の駅や飯舘郵便局の前を通っている。
割と中心部には近いはず。
その飯舘郵便局や両隣りの店が閉鎖。
郵便局は別の場所に移動したのかもしれない。
でも村名を冠した郵便局の閉鎖に衝撃を受けた。

真新しい道の駅だけが賑わっていた。
また新築のように見える家も建っていた。
しかし村全体の印象は静かだった。
道沿いの少し離れた休耕田には汚染土の塊を防護シートで囲い大量に置かれている。
私が通ったコース上では飯舘村にあった放射線測定器の0.466の値が最高値だった。
それでも5年前の自転車旅行時はもっと離れた福島市方面でも更に高かったと思う。
放射線の影響は年々着実に減っているのだと思う。
しかし昔の姿を取り戻すのは容易なことではない。

南相馬市に入ると共に徐々に人の気配が増え出した。
そんな中に「国と東電は故郷を元に戻す責任をとれ!」の立看板がある。
少し汚れかけた立看板が福島の現実を映し出す。

この日はずっと寒気を感じながら歩いた。
寂しい町の様子に寒さを感じた面もあるが、
一日中気温は10度前後で冷たい風も吹いていた。
昨日泊まった旅館では寒くて暖房を入れていた。
少し暖房に頼り過ぎて身体の抵抗力を弱めて風邪気味になった様に感じる。
これまで何度も長期旅行したが今回感じた様な寒気はあまり記憶にない。
気をつけてないといけない。

この日の最終目的地は南相馬の道の駅。
計画ではもっと手前の場所にする予定だった。
しかし明日にかけて雨の予報になったため急遽屋根付きの野宿地に変更。
このため当初の予定より7km、1時間40分ほど多く歩き目的地到着は19時過ぎになった。

民家前に咲く立派な桜

県道整備に高村智恵子とお手姫が助太刀?

コンビニで買い物後おじいさんを救助

原発事故後、草野、飯樋、臼石が合同小学校?

合同校を閉校? して引越し作業中。

飯舘村に入る。放射線計測は0.23

道の駅飯舘・までい館

平日でも駐車場は混雑

道の駅飯舘の中の様子

飯舘郵便局と両隣が閉鎖

放射線計測が0.466(今回旅行中の最高値)

八木沢トンネル(全長2360m)

約30分かけて通過

南相馬市に入り猿を目撃!

道の駅南相馬にやっと到着

07:20 みどりや旅館・発
09:00 ミニストップ(買物・トイレ10分)
11:30 森の駅まごころ休憩所(食事30分)
13:30 道の駅飯館(見学10分)
17:00 ローソン(買物15分)
19:10 道の駅南相馬・着

歩行時間 10時間45分
歩行距離 49km

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