天気 曇りのち晴
今日の予定は、最初の寺に着くまで距離が長く、その後6つの寺を打ち松山城に少し寄りたいと思っていたため久万公園を早朝に出発した。
久万高原町が標高の高い所にあり今日は下り道で楽できると安易に考えていたが大間違いだった。
標高500mの所にある久万公園から標高720mの三坂峠まで約2時間ずっと緩い上り坂が続く。
今日もまたコール君に出会えた。
コール君は前日、三坂峠の手前にある善根宿に宿泊。私より5kmほど先まで進んでいたが、私の方が朝早く出発していたため、コールが出発する前に追い越していたらしい。
ところでトンコツラーメンが大好きというコール君は天才だった。
コール君は地図を見ないで歩いている。
多分事前に地図を頭の中に入れ、遍路中は頭の中の地図を辿っているようだ。
そんなことができるのか?
でもそうやっているとしか思えない。
今日も遍路道を進む私が、違う方向に進むコール君を発見し道が違うよ、と言ったら大丈夫と答え、その後浄瑠璃寺で出会った時に道のことを尋ねたら、私の歩いた遍路道よりコール君の歩いた道の方がアップダウンの少ない道で距離的にも違いがないから選んだと言う。
初めて日本の四国に来て、見ず知らずの場所を地図も見ずに歩き迷わないとは!信じられない!
コール君とはこの後、次の八坂寺で会った後はコール君のスピードに追いつくことはなかった。
私は47番八坂寺を打ち終えた後、次の寺に向かう途中、11時過ぎにスーパーに入り弁当を買い店先で昼食にした。
そこでトラブルが発生。
多少時間に余裕があったので、昨日まで通信圏外にいて更新出来なかったブログを昼食しながら入力。
またスマホの充電残量が減ってきたので携帯の充電器に差し込んだ。
約1時間位してブログ作業を終え充電器のケーブルを取り外した。
そこでスマホがフリーズした。
操作を一切受け付けず電源ボタンを押しても全く反応しない。
10分ほど色々試してみても全くダメ。
ショックが大きい!
スマホに遍路地図のアプリを入れて、念のために遍路道保存協会発行の地図本も購入後にデジカメ撮影してスマホに保存して、紙の地図は四国全域が1枚に収まった地図しか持っていない!
しかしどうしようもないので、残り4つの寺を何とか打ち終え、松山市内の電気店で相談することにする。
スーパーを出発後10分ほどで、トラブルに動揺してスーパーに金剛杖を忘れたことに気づき引き返したが、3番目の寺西林寺には遍路道マークを辿ることで無事到着。
しかし4番目の浄土寺が大変だった。
西林寺を出た所にある浄土寺への方向を示す石柱標識に従って国道沿いを進んだが、この石柱以外に遍路道マークは現れてこない。
最初は何とかなると思っていたが、浄土寺は道が分かり難い場所にある寺で、結果的に大分遠回りした上に、5人ほどの通行人に道を尋ねてようやく辿り着けた。
これに懲りて5番目と6番目の寺は、慎重に遍路道マークを辿り、多少ハラハラした時もあったが無事到着できた。
コール君と自分の道路感覚の差の大きさを改めて実感すると共に、如何に自分がスマホに頼っていたか思い知らされ、自分だけでは何も出来ないことや、万が一の事態への備えなど大きな教訓になった。
この日最後に打った石手寺は88ある寺の中で最も個性的で最も有名な寺。
本当はじっくり時間をかけたかったがスマホの復活が喫緊の最重要課題。松山城の見学も中止し、先ず今日泊まるホテルを目指す。ホテルへの道もうろ覚えで結構遠回りしたが何とか到着。
ホテルの人に、電気店を探すためこの周辺の地図が欲しいと言うと、周辺地図を手渡してくれた上で、カウンターにパソコンもあるのでそちらも使って探してみたらとアドバイスを貰う。
その手があった!
早速パソコンで店を探す前に、スマホの現在の症状を入力し復活する手段がないか検索。
アイフォーンで電源も反応しない場合は、電源ボタンとホームボタンを同時に長押ししてみる方法が紹介されていて、それを試したら、見事復活!
心の底から安堵した。
今日は様々な教訓を学んだ。
後はそれを忘れずに次に活かすこと!
レストパーク明神前を通過。
この少し先でコールが泊まった所があったらしいが、私は分からなかった
町中まで来て学校が出現。四国には幼稚園と小学校が一緒の所が多い
05時30分 久万公園を出発
09時45分 46番浄瑠璃寺に着
10時20分 47番八坂寺に着
11時20分 スーパーえばらで昼食
(スマホがフリーズするトラブル発生)
13時10分 48番西林寺に着
14時25分 49番浄土寺に着
15時00分 50番繁多寺に着
16時10分 51番石手寺に着
17時15分 松山市内のホテルに着
歩行時間 9時間00分
歩行距離 34km
コメント
石手寺のモニュメント?
密教の仏具で、三鈷杵(さんこしょ)といいます。それを、モニュメントにしたものと思われます。
以下、説明と弘法大師と三鈷杵の伝説をちょっと検索したものをコピーしておきました。
金剛杵(こんごうしょう)
三鈷杵とは密教法具の一種の、金剛杵の1つです。
金剛杵(梵名 ヴァジュラ )とは、仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、古代インドの短剣状の武器ヴァジュラにたとえて法具としたものです。つまり、あらゆる煩悩を打ち破る心を表します。元々はインドの武器であったものが、法具に転じたものです。「飛行の三鈷」の信仰などがあり、密教では特別に重視される法具です。形状によりさまざまな名前がつけられています。
「鈷」とはもともと武器であった銛(もり)が変化したもので、悟りを妨げるものを払うという意味があります。
魔を打ち払う武器であり、これを持てば障難を防ぎ、祈願を成就できると説かれています。
形状
中央に柄があり、両端には槍状の刃が付いています。
独鈷杵(どっこしょう)・・・刃が一本のもの。
三鈷杵(さんこしょう)・・・刃が三本のもの。
五鈷杵(ごこしょう)・・・刃が五本(中央に1本と周囲に4本)ついたもの。
五鈷杵は金剛杵の中では最も頻繁に用いられた法具です。
九鈷杵(きゅうこしょう)・・・中央の刃の周囲に8本の刃を付けたもの。
宝珠杵 (ほうじゅしょう)・・・柄の上下に刃ではなく如意宝珠を付けたもの。
宝塔杵 (ほうとうしょう)・・・柄の上下に刃ではなく宝塔を付けたもの。
飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょう)と三鈷(さんこ)の松 by A.Kawabata
飛行三鈷杵(伝・弘法大師所持)
伽藍、御影堂の前にある松の木で、「三鈷の松」と呼ばれています。弘法大師が唐(中国)の国へ渡って、明州(現在は寧波(ねいは:ニンポー)という地名。)の港からの帰国の際、師の恵果(えか:けいか)和尚から贈られた密教法具の一種である「三鈷杵」を東の空に向けて投げました。時に大同元年(806年)でありました。
投げた理由は「わたしが漏らすことなく受け継いだ密教を広めるのにふさわしい地へ行くように・・」という願いが込められていました。帰国後、その三鈷杵を探し求めていると、弘仁7年(816年)頃、高野山の松の木にかかっているということが分かりました。そうして、高野山の地が真言密教の道場として開かれるようになり、この松を「三鈷の松」と言うようになりました。
また、通常の松の葉は2本ですが、この松の葉は3本あり、三鈷杵の先(鈷部)が中鈷・脇鈷と三つに分かれていることから、その形とあわせて 「三鈷の松」とも呼ばれています。