昨朝の朝ランで自動車追突に遭遇した。
遭遇したという表現は不適当かもしれない。
私も事故当事者(関係者)なのかもしれない?
朝6時30分過ぎ日の出前の薄暗い国道4号交差点。
天気は多少吹雪気味で気温は0℃前後と思われる。
交差点の路面はタイヤで磨かれ少し滑り易い状態。
私の歩道横断が引き金で追突事故が起こった。
追突音はドンとしたが事故程度は軽い印象。
当日私はランニング途中で国道の交差点に達した。
歩行者信号は青で対面からは右折車列が進入中。
歩行者信号が青なので歩行者優先で私は小走る。
右折車は私の手前で私に気付き遅れ気味ブレーキ。
後続車両は私の手前で停車した車の後ろに追突。
私が横断歩道に入った時に右折車列は約10台。
私が横断歩道を渡り始めても2台は私の直前を通過。
そのため後ろの車は私に気付き遅れた可能性がある。
早朝の薄暗さと少し吹雪いていた事情もある。
また早朝早めの時間で周囲に歩行者はほぼいない。
右折車両の長い列以外に周囲には車もほぼいない。
右折車両側は対向車が来る前に早く右折したい。
様々な悪条件や事故りやすい状況が重なった。
私に落ち度は全く無いがそれは法律上の話。
歩行者信号が青の横断歩道ならば歩行者は最優先。
だが歩行者信号が青でも車を避け立ち止まる人もいる。
大半の場合は車が停まって歩行者が渡るのを待つ。
だが時々歩行者の目の前を車が走る場面も目撃する。
車と歩行者を比較すれば歩行者が圧倒的な弱者。
このため車を信用しない人は法律や規則を過信しない。
法律や規則があってもそれだけで人命は守られない。
法律や規則はルールに過ぎず守るかどうかは人次第。
ルールを無視する人がいれば事故は起き最悪落命する。
命を落とした後で法律云々を言っても命は戻らない。
青信号でも危険を避けて無理しない事は一つの選択。
現実はルールを過信できない社会になりつつある。
人が増え車が増える事で人と車のトラブルは拡大。
例えば車の法定速度や一時停止のルール。
どれだけの人がこのルールを厳格に守っているか?
私自身も速度違反で2回警察のお世話になっている。
また最近私は信号無視する車をしばしば目撃する。
例えば青→黄→赤→右折→赤の順に変わる交差点信号。
この時「右折」信号でも平気で直進する車を時々見る。
対向車線に右折車が無ければ直進してもほぼ危険無し。
理屈は分かるがそれでも違反行為なのは明らか。
人は他人の目の届かない時に悪事を起こし易い。
昔は年長者が子供の躾けのためによく言った言葉。
「悪いことをすればお天道様が見ている」
だが今の世はお天道様も他人の目も監視カメラも無関係。
最近は無人販売所での窃盗も毎日の様に報道される。
様々な目を構わずにルール破りが増えてきている。
世の中はもう旧来の思考が通用しない社会になった。
例えばアメリカやブラジルの大統領選挙後の暴動。
自分の支持しない人が選ばれたら誰しも不満を持つ。
最も不満を持つ人は立候補し落選した本人だろう。
今までは落選した本人は選挙結果を受け入れた。
ところがトランプやボルソナロは素直に受け入れない。
模範を示すべき人が不満を述べれば支持者も同調する。
他人の目、お天道様の目、監視の目も全く機能しない。
現代社会は人間が多過ぎる社会になってしまった。
このため人間同士の接触で様々なトラブルが頻発する。
トラブルを少なくするため法律などのルールを作る。
そのルールは人間関係を円滑にしたいための産物。
ところがルール自体に不満を持つ人は相当に多い。
世界が今直面している難題は数多い。
・ロシアのウクライナ侵略戦争
・コロナとの向き合い方
・温暖化や異常気象
・エネルギーや食糧問題
・国同士や国内の主義主張の対立
・人権、貧富格差、男女不平等、etc
この他にも問題は数多くあると思う。
そしてこれらの問題には共通の原因がある。
共通原因の一つは地球上に人類が増え過ぎた事。
「サピエンス全史」という本では人類の発展を紐解く。
人類は同じ物語を信じる事で発展してきた。
共同で農業を行えば効率的に生産を拡大できる。
共同で機械化すれば大量の製品を素早く作れる。
同じ夢を信じ行動する事で人類は繁栄した。
その結果は地球上に人類が溢れる事になった。
人類が増え過ぎると相対的に地球は狭くなる。
このためロシアとウクライナも国土を巡り争う。
人類が自然を荒せば隠れていた物が表面化する。
眠れるウイルスを目覚めさせた結果がコロナ発生。
温暖化も異常気象も人類が自然を荒らした結果。
人権や貧富差や対立も人類が増え過ぎた事で起こる。
人が密集すれば共存のためルールが必要になる。
数十年前に石油危機が叫ばれた時代があった。
人類がこのまま石油消費を続ければ石油が枯渇する。
その不安から石油や関連製品が高騰(オイルショック)発生。
大騒動はその後鎮火したが問題は未解決。
食糧危機も戦争等によって改めて浮き彫りになる。
しかし戦争以前から食糧危機は刻々と進んでいた。
自分の身辺に危機がなければ人々は意識が薄れる。
しかし世界には多くの紛争、食糧危機、異変が存在する。
日本に住む私は今エネルギー価格の高騰を案ずる。
また食料品や各種商品の価格も全般に値上がった。
だが節約しつつも極端な支障はなく生活している。
しかし世界中には多くの貧困者が存在する。
人類が増え過ぎた事で多くのトラブルが起きている。
それならば人類が減れば良くなるのだろうか?
人類を減らすには戦争や食糧危機が続けば良いか?
今世界に起きている紛争や危機は人類を減らす解決策?
例えばイナゴなどの昆虫が大量発生する年がある。
しかし大量発生後に食べ物を食べ尽くすと大量死する。
自然の循環で大量発生は続かない事は自然摂理の一つ。
もしかすると人類は今が繁栄のピークかもしれない。
この先には更に大きな困難が続々と起こるのかも?
壮大な歴史の流れの一コマかは私の理解の範疇の外。
ただ現代社会は歪みが拡大しつつあると感じる。
一方で戦争や食糧危機で多数の人命が危機にある。
その一方でコロナによる高齢者死も大問題と扱われる。
前回記事で書いたが私は高齢化と共に冷えが増加した。
そして冷えの原因として血管と血流の関連を述べた。
年齢と共に血管が衰えている事は皆同じではないか?
コロナの場合も血管や血流障害で死亡例が多いとの事。
ある意味では自然の摂理でどうしようもない事。
それを少しでも回避するのが栄養と運動だと思う。
高齢者でコロナ感染して大丈夫な人も沢山いるのだ。
コロナを特別視するのでなく健康自体に目を向けたい。
コロナを怖れて運動自粛し亡くなった叔母が気の毒。
自粛せず運動していた方が健康を維持できたと思う。
コロナで亡くなる高齢者も結局叔母と同じかもしれない。
亡くなった叔母同様コロナで自粛し身体が衰弱した。
そして弱った身体にコロナ感染し身体の免疫が負けた。
勿論私の推測は根拠の少ない推測でしかない。
だが良識ある専門家は高齢者の運動不足を危惧している。
運動不足は身体が益々弱る事に繋がるからだ。
それなのに今も政府、医者、メディアはコロナ恐怖を煽る。
医者やテレビを信じ高齢者はコロナを怖れ外出を控える。
結果的に高齢者は運動不足で身体が衰え免疫低下する。
コロナによる死を軽視しようという意図は全くない。
ただコロナによる死は高齢者が多い事はすでに明らか。
高齢になるほど運動不足での身体機能不調で死に易い。
私は今も変わらずコロナ騒ぎを続ける事が理解できない。
善し悪しは別だがあの中国でさえゼロコロナを大転換した。
習近平のゼロコロナのルールに国民が怒りを爆発させた。
最初に触れたルールと人間の関係を再度繰り返す。
ルールは多くの人間を守り幸せにするためのもの。
現状のコロナ禍のルールは本当に多くの人を幸せにしたか?
人々は今のルールに対しどう思って暮らしているのか?
私は現行ルールは高齢者にとって不幸だと感じる。
人間は幾ら頑張っても寿命が来れば死ぬのは自然摂理。
人類過多の時代なのに自然摂理を受けとめない世を憂う。