6月11日(土) 34日目 86番志度寺~88番大窪寺

天気 薄曇り

今日はいよいよ最後の寺に向かう。
これまで道のいたるところに道標の石柱があった。
それらの道標の由来が掲示されていた。
秋田の人が道標を立てた? 250年前?
秋田から歩いて四国お遍路に来た、しかも道標まで立てたというのか!
一体、四国お遍路は昔からどれだけ人気があったのだろうか?

86番、87番の寺を打ち終え、最後の88番大窪寺に向かう途中に、道の駅の向かい側に「お遍路交流サロン」があった。
チョイと一休みと思い入館。
何と!歩き遍路でここまで来た人には遍路大使任命書を発行するとのこと。
サロンの人の話によると、
年間で2500人~3000人に発行しているらしい。
今年は逆打ちの人が多少多い。
外人も増えてきている。
外人は日本語が出来なくても来ている人が結構いる、とのこと。
サロンからのお接待で、冷えた美味しい水を5杯ほど飲みお菓子にも手を出す。

チョイと一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ水
気がつきゃ サロンのベンチで のんびり
これじゃこの先 遅れちまうよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
(スーダラ節の替え歌)

サロンには見学も含め30分ほどいて疲労回復したが、その後も続く登り道に、飲み過ぎた水が汗になって噴き出してバテが出始めた。
その後、アメを舐めると少し回復。
汗を舐めると更に回復。
自分の中では、汗舐めが最も効果が高いとことが実証された。

大窪寺に向かう手前には女体山という標高774mの山越えがある。
女体山の名前からなだらかな山をイメージしていたが、山頂に近い場所は岩山のゴツゴツ感に驚かされた。
四国遍路中では最も岩山登山の雰囲気を楽しめる名前のイメージと異なる山だった。
標高774mを越えた後は300m以上降ってようやく大窪寺に着く。

やっと結願(けちがん)した。
納経所の方が、納経帳に朱印後に思いを込めて渡してくれた。
達成感よりも、やっと納経から解放されたという安堵感と虚脱感。
納経受付時間を気にしたり、寺を回り忘れてないか、納経し忘れしてないか、気になりながらの旅だった。

一方で、海、山、峠、川、田畑、山間集落、古い街道、レトロな街並み、商店街、都市部など変化に富んだ景色を存分に楽しんだ旅でもあった。
各お寺では、最初の頃は恥ずかしくて省略したこともあった般若心経を、本堂と大師堂で真面目に唱えた。
日本遺産に認定され、更には世界遺産登録を目指すという四国遍路。
何百年という脈々と続いてきた歴史を四国全体の道や町から十分に感じさせられ、お接待という無償の愛が受け継がれている。
正に日本を代表する遺産として後世に繋いでいってほしいと心から感じた。


テント泊した二ツ池公園を出発


道の駅牟礼はテント泊したい場所だが禁止となっている


本日最初の寺、志度寺


すぐ隣りには平賀源内の墓所がある


長尾寺に向かう途中で見た昔の遍路人の話(250年前秋田から遍路に来たとは!)


お遍路へのちょっとした励まし


長尾寺の本堂と大師堂


休憩に立ち寄ったお遍路サロン


記念撮影してくれた


女体山に向かう途中にあった水場?
とても冷たく、頭を冷やしうがいした


女体山頂直下の岩場


女体山頂からの眺め


大窪寺


門前に商店が並んでいる。
私は、寝ぐらの心配があり先を急ぐ。


満員で宿泊予約できなかった白鳥温泉にとりあえず野宿の予定で先を急いだ。
温泉の3kmほど手前にあった中尾休憩所を急遽寝ぐらにすることにした。
今旅行中で最も寂しい寝ぐら

06時50分 二ツ池公園を出発
08時00分 志度寺に着
10時05分 長尾寺に着(45分休)
12時30分 お遍路交流サロン着(30分休)
15時20分 女体山頂に着
16時00分 大窪寺に着
18時25分 中尾休憩所に着

歩行時間 9時間10分
歩行距離 36km

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