人の心とルール

1 人の心は単純
私には特にお気に入り本がある。
「単純な脳、複雑な私」(池谷祐二著、2013年BlueBacks刊)
本には示唆に富む話題が満載されている。
本のタイトルは難解風だが文章はとても読み易い。
その中の面白い話題を二つ紹介する。
・吊り橋上の告白は成功率が高い(63頁)
・正しさは好き&記憶し易さと同じ(125~130頁)
どういう事かを私の独断解釈で述べると、
・危険な所でのドキドキ会話は脳が興奮と勘違いする。
 興奮した脳は原因を相手と思い相手を好きと思う。
・自分が思う事と一致した事は正しいと信じ易い。
 
本は具体例を挙げとても分かり易く紹介している。
人の心は意外に単純で惑わされ易い事を教えられる。

2 正義の幻想
現在人間は地球上で最も繁栄している。
全てを人間の思い通りにしようとしている。
動植物を殺して食べる事は人間に必要と信じる。
その一方で特定の動物は人間の寵愛対象にする。
平気で差別して格差の色眼鏡で動物を見る。
地球上の人間同士も建前上は平等を理想に掲げる。
一方で地域により貧富格差は計り知れず大きい。
身近にいる人同士でも格差は相当に大きい。
難病を患う可愛い子供には多額の募金が集まる。
一方で極小支援さえ届かず飢え死ぬ子は世に多数。
正月に発生した能登半島の大地震。
大被害が報道された地域には多数の支援が集まる。
しかし報道の過疎地帯には支援が集まり難い。
更には大災害と小災害で報道格差は相当大きい。
これらは全て人々の感情の差で左右される現象。
つまり人は自分の感情を優先して判断をする。
自分の感情に強く響けば特別扱いしたくなる。

3 個人的な正義観
私の身近で最近とても些細な出来事があった。
5歳になる知人の子が同年代の子と遊んでいた。
遊び終わった帰り際に相手の子の玩具が消えた。
親同士は消えた玩具を数十分懸命に探し続けた。
結果的に知人の子のバックから玩具が見つかった。
知人の子は親からキツく叱られる事となった。

私が良く知る知人の子は良い子の部類に入る。
普段は余り悪さしないが誘惑に負けたのだろう。
私自身も幼い頃は悪い事を沢山した気がする。
幼い頃だけでなく今でもルール破りは沢山する。
例えば交通規則(速度・一時停止・駐車)違反は多数。
例えば20歳未満飲酒やパチンコ景品交換(大昔の話)。
例えば旅行中等の落し物等の不届け(不法)拾得。
例えば徒歩旅中の無断立ち入りや無断野宿。
全ては自分の中の身勝手ルールが基準にある。
「他人迷惑の無い範囲なら許容範囲」の自分勝手ルール。

人間も動物ならば本来は生存競争に勝ちたい生物。
動物なら自分が生きるためなら他の物でも奪う。
幼い子が他人の物を奪いたいのは動物的な欲望。
だが大勢の円満な集団生活のためルールが作られる。
他の物を勝手に奪い合えば集団の団結が崩れる。
だから奪い合いを諫めルールを守る事を覚えさせる。
ならば他人に迷惑しないならルール違反も許容範囲。
私個人意見は「迷惑しないルール違反」は許容。
その「迷惑しない範囲」が一種の私的(個人)ルール。

4 個人毎で異なる正義感
そこで問題なのは公平感、不公平感の問題。
本来は人は誰もがルールを守る事は煩わしい。
できればルールに縛られず生きたいと皆思う。
だが社会円満のため渋々ルールに従っている。
するとルール厳守者はルール破りする人を許せない。
幾ら他人迷惑でなくてもルール破りは許せない。

【世界ジョーク集の中の日本人の特長】
コロナ禍で各国政府が国民にマスク着用を求める。
アメリカ政府はこう発表した。
「マスクをする人は英雄です」
ドイツ政府はこう発表した。
「マスクをするのがルールです」
イタリア政府はこう発表した。
「マスクをすると異性にモテます」
日本政府はこう発表した。
「みんなマスクしていますよ」

例えば日本では車の大半が速度違反している。
だから速度違反する車がいても目立たない。
しかし赤信号で横断歩道を渡る人は少ない。
先日国会議員が急用で赤信号道路を横断した。
後日指摘を受けて赤信号横断を謝罪した。
詳しい状況は不明だが危険がなければ私なら可。
だが赤信号横断する人は少ないため非難される。
交通ルール違反でもケースにより意見は異なる。

5 共通ルールの難しさ
冒頭から再度振り返って考えたい。
人の正義感は人夫々の好き嫌い感に左右される。
人も行動も夫々の好き嫌い感情で大きく異なる。
所がバラバラのままだと集団活動は成り立たない。
そこで無理矢理一定のルールが作られる。
結果的にルールは必ずしも守られると限らない。
表面上のルールと別に個人内面のルールが出来る。
勿論私には他人の心の中は分からない。
だが人は皆夫々独自に内面ルールを持つと推測する。
普段は万人ルールに従いつつ時々内面ルールが顔を出す。
ルールは人毎や年代毎や地域毎で差が大きいと思う。

6 直近社会の身勝手ルール違反事例
(1) ビッグモーター
店舗の車商品の展示優先で邪魔な街路樹を伐採。
自店販売優先上は街路樹伐採は許容範囲と判断か?
だが流石にビッグモーターのルール違反は論外。

(2) ジャニーズや宝塚の性加害・パワハラ
各々の芸能会社は所属職員を商品として認識。
会社に都合良い人は厚遇し都合が悪ければ切り捨て。
会社に都合の悪い事は出来るだけ隠蔽しようとした。
会社至上主義で職員・社員は使い捨ての駒(?)認識。

(3) 自民党の裏金問題、統一教会問題
どちらも集金と勢力固めのための産物。
自民党のルールは集金と勢力維持が最優先という事。
集金や勢力維持のためなら公的ルールは二の次。
だから如何にルールに抜け道を作るか腐心する。
今も表面上は改革姿勢を示しルールの骨抜きを図る。

(4) ダイハツ・トヨタの不正認証
車の製造販売では車の安全性と性能と価格が最重要。
世界中で車の販売競争が行われる中で企業は必死。
他社との日々の開発競争の中で性能認証の不正発覚。
原因は企業トップが現場の実情無視の開発期限指示。
現場は無理を承知で作業した結果が性能偽装。
トップの理想と現場の現実が乖離しルールは形骸化。

(1)~(4)のどれも自分(組織)独自のルールに従った。
つまり社会ルールより自己のルールを優先した事例。
冒頭の本で言う「自分の気持ち」が優先ルールになる。
組織の事例と同様に個人でも自己優先ルールが発生。

(5) 松本人志や伊東純也の性加害疑惑
両方共未だ疑惑段階のため憶測はできるだけ慎む。
ただどちらも共通な事は有名人と民間人のトラブル。
民間人が有名人の誘いを受け懇親の場に参加する。
民間人側は有名人側の機嫌を損ねない様に気を遣う。
その様な場では有名人側が優越的立場になる。
民間人は有名人の多少の無理難題を受け入れ易い。
結果的に有名人は「自分は強制していない」と考える。
一方民間人は「イヤだが仕方無く応対した」と考える。
実際の事実は分からないが感覚の乖離は想像される。

結局は互いの価値観(善悪観)に大きな食い違いがある。
あくまで仮定だが有名人側は相手は同意の上と思う。
所が民間人側はイヤなのに完全拒否し難い事もある。
お互いの価値観や内面の感情が複雑に縺れてしまう。
冒頭の「単純な脳、複雑な私」と同様で心は本来単純。
だが身体の反応は必ずしも心と一致しては表れない。
有名人側は自分が優位的なルール意識を持ち易い。
民間人側は自分が奉仕側というルール意識になり易い。
人は皆個別ルールを持ちつつ社会ルールと共存する。
社会ルールと個別ルールが乖離大だとトラブルの元。

7 政治家の世論操作誘導、報道規制
故安倍元首相とトランプ前アメリカ大統領は似ている。
2人共に批判的勢力に対して全て敵と見做し攻撃する。
トランプは自分第一主義、自国第一主義で他は全て敵。
民主党や外国勢は基本的に全て敵として扱う。
但し自分の見方と判断した時は受け入れる。
故安部元首相は自分に批判的政党や報道や民衆を罵る。
自分を批判する野党は過去の失敗を連呼して貶す。
報道機関には中立性や公平性を指摘し批判を封じる。
民衆が反対意見を叫べば「異論に負けない」と叫び返す。
どちらも自分に都合の悪い事は隠し話題を転嫁する。

冒頭からの話と同様に全てが自分の好き嫌いに基づく。
二人共に敵対者と真摯な議論をする気は無い。
自分に賛成なら良いが反対や異論には耳を貸さない。
自分の考えが正義でそれ以外は全て間違いという思想。
二人共に学者や専門家の意見でも異なる意見は無視。
そこには良い意見を取り入れ最良を目指す考えは無い。

8 より良いルールとは
人間の心は極論すれば「好きか嫌いか」で分けられる。
好き嫌いは人夫々であり好き嫌いの一元化は無理。
だから人の心を縛るルールも全員の同意は不可能。
しかしルールは社会や時代に合わせ見直しできる。
端的な例が自民党の裏金問題。
やる気さえあれば裏金防止は簡単と思われる。
所がルール改正は自らの不利益と考える人が忌避する。
つまり今の政治体制そのものが既に終焉している。
現行体制のままではいつまでも変わらない状態が続く。

だからルールを変えたい時は抜本的な変革が必要。
例えば政治を変えたいなら方法が二つ考えられる。
一つは保守派(現状維持派)は全て選挙で落選させる。
ただし人が変わっても変わった人のその後が重要。
新たな人も権力維持を目指すなら何も変わらない。
二つ目は政治の仕組みそのものを変える事。
政治は国民の多数意見を反映させるための仕組み。
多数意見を反映させるため政治家を選んでいる。
でも多数意見の反映に必ず政治家が必要だろうか?
現在はネット社会で多数意見の収集も意外に容易。
ネットを利用し結構正確な民意の収集もできそう。
更にAI技術も取り入れ民意とAIで方針を決める。
政治家が方針を決めなくても出来そうに思う。
だが現状維持を望む人も多そうで実現は困難だろう。
私個人的には今の政治システムはもう時代遅れに思うが。

政治の話と同様にルールも時代と共に見直し必要。
だがルールを変える事はそれに付随する仕事も変化。
つまり政治と同様現状維持派は多く変化は容易でない。
人の心とルールが乖離すればするほど問題は顕在化。
日々のニュースには昔は少なかった事件が溢れる。
・高齢者ドライバー等の危険運転
・白昼堂々の強盗や無人店舗での強盗
・ネットを利用した詐欺や凶悪犯罪
・ネットでの虚偽情報拡散や誹謗中傷
全ては時代の変化と人々の心の変化に起因する事件。
今は早急な現状改革が求められていると感じる。

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コメント

  1. との より:

    赤信号みんなで渡れば・・・・。イタリアのジェノバに出張したとき、州政府の方々と歩いていた時、信号が赤になり小さな交差点だったので、左右確認して渡りました。イタリアの方にイタリア人よりイタリア人だと笑われました。日本人はルールを守るので、彼らは我々に気を使って立ち止まったそうです。普段だったら信号無視して渡るそうです、

  2. takenamik1 より:

    との 様
    コメントありがとうございます。
    日本人は周囲に気遣いするのが得意な人種に対し外国人は全般に自己主張の強い人種だとばかり先入観で思い込んでいました。
    情熱的なイタリア人は恋愛の時だけでなく普段からも他者に思いやりも心掛けで接しているのかなと認識を改めさせられるエピソードを知れて勉強になりました。
    一度も外国旅行をした事のない自分の何時か外国旅行したいと思うのですが現時点では簡単には叶えられそうもない夢です。