6月14日(火) 37日目(おまけ3) 高野山

天気 曇りのち晴

昨夜は道の駅の端にある東屋で野宿。
予定を早めて夜明け前に高野山を目指し出発したが正解だった。
この日は予定以上に時間がかかり宿泊地の大阪に着いたのが18時30分、夕食を済ませて宿に入ったのが19時30分。

慈尊院から高野山までは町石道(ちょういしみち)という一町(109m)毎に並ぶ石標に沿って続く登山道のような道を進む。
恥ずかしながら下調べした時この道を舗装道路だと思っていた。
舗装道路と登山道では歩き易さに大きな差が出る。
それでも町石道は整備が行き届いた道で登山道としては最高に歩き易い。
歩き易いが、いかんせん距離が長い。
そして、慈尊院の標高約70mから高野山の標高約900mまで7~8時間かけて徐々に高度を上げていく。
予定では時速4km弱の歩行速度のつもりが現実には時速3kmほど。
予定どおり進まないのは毎度のことなので、昼食も歩きながら軽く食べて済ます。

最初は変化に乏しい地味な道だから誰とも会わないだろうと思っていたが、5~6人と出会った。途中で2か所に駅と接続する分岐点があるため、私のように町石道全区間を通して歩くのではなく区切って歩いていたのかもしれない。

道の駅から9時間以上かけてようやく辿り着いた高野山は予想をはるかに超えた賑やかな街だった。
沢山の寺院が立ち並びその間には多くの商店がひしめき合う。
ここにも多くの外国人観光客が訪れていたが、他の地域に比べ欧州系の割合が多いように感じる。

高野山大門、金堂、根本大塔、そして本堂と大きさに圧倒された。
本堂に参拝してから、いよいよ奥の院に向かう。
今も弘法大師・空海が生きて?瞑想の世界にいると言われる場所。
その場所に行くまでには多くの歴史上の有名人の墓所を通る。
既に墓を管理する人もなく荒れ果てた墓も多い。
人は必ず死にそして徐々に人々の記憶からは薄れていく。
空海が生きているのかどうか私には分かりない。と言うより、肉体はもう無いだろう。
しかし高野山の僧侶にとり、そして奥の院を訪れ無心に念仏を唱える多くの人々にとり、空海の魂とその教えは永遠に生き続けていくのだろう。


夜明け前の出発で街の灯りも少ない


紀の川沿いを高野山に向かい歩く


慈尊院の手間で近所の親切なオバさんがこの先の道を案内してくれた


慈尊院から町石道は始まる


一町(109m)毎に並ぶ町石。
古い石や新しい石が混在


矢立茶屋。
慈尊院から5時間、休憩せず先に進む


やっと着いた高野山の入口、大門


圧倒的な根本大塔


金剛峯寺の本堂に参拝


高野山の賑やかな街並み


奥の院へ向かう道は墓に囲まれている


石田三成の墓にお参りする人。
この他にも多くの有名人の墓がある


今も中に居ると言われる弘法大師・空海が眠る奥の院


奥の院に手を合わせる人々


奥の院納経所で納経を終える


帰りはバスで高野山駅を経由し大阪へ

6月14日
04時15分 道の駅紀ノ川万葉の里を出発
06時40分 慈尊院に着(町石道の開始)
11時45分 矢立茶屋に着
13時35分 大門に着(登山道の終了)
14時10分 高野山金剛峯寺に着
15時15分 高野山奥の院に着
16時00分 バス~ケ-ブルカ-~電車乗継
19時30分 大阪市内の宿に着

歩行時間 11時間00分
歩行距離 39km

6月15日 大阪~青森(飛行機で帰宅)

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