安全と危険は表裏一体?

世界でも特に日本は安全や健康に神経質な国。
日本人は世界中で最もきれい好きかもしれない。
そんな中で最近見かけた2つのニュース。
・老舗旅館大浴場で基準超3700倍のレジオネラ菌

・小学校行事で配布された菓子が消費期限切れ

どちらも予め定められた基準を守らなかった事案。
小学校の方は担当者の確認不足が原因の事案。
一方で旅館の方は故意に基準を守らなかった。
小学校ではお菓子を食べた中の数%で軽度体調不良。
一方で旅館の方では現時点で明確な体調問題報告無。
但し単に体調悪化が表面化していないだけかも。
基準を守らず客に嘘をつき続けていた事は裏切り。
全く弁解の余地はないと思う。
老舗旅館は今後の再建が厳しいと思われる。

10年以上前に大阪の老舗船場吉兆でも似た事案有り。
賞味期限切れ等様々な食品偽装問題で客を裏切った。
その後店は廃業したが後日別の形で復活していた。
[NHK逆転人生]次男が別の店で料理人として復活。

食品偽装が発覚し、廃業に追い込まれた料亭・船場吉兆。経営陣の一人だった次男の転落と生き直し。壮絶なバッシング「外に出るのが怖かった」再び料理の道へ。奇跡の出会い 「一度は日本全国を敵に回した」と語るのは、船場吉兆の経営陣の一人だった湯木尚二さん。謝罪会見に出席した母親が「ささやき女将」と報じられるなど、家族ぐるみで壮...

2つの事案共に問題がある事に全く異論はない。
一方個人的な感想は「逆の意味で不安な社会」と感じる。
今の社会は極端に安心を追い求める社会と感じる。

相当以前に抗菌グッズが流行した時期があった。
今現在は流行が下火になったかどうか知らない。
抗菌グッズは菌を遠ざけるが菌と無縁で人間は生きられない。
最も身近な腸内細菌は全く居ないと人間は死に至る。
過去記事でも書いたが人間自身が菌に囲まれ生きている。
・我慢の限界に対応するには-2(2017/2/10)

当然だが菌増殖による環境悪化は健康には悪影響。
一方で菌と共に生きる事で人間は生きていける。

最近は大多数の人が花粉症を患っている。
幸いにも私は未だ花粉症を患っていない。
花粉症もきれい好きが高じた結果との仮説もある。
・清潔すぎる環境ではアレルギーになりやすい?

動物の中に便を食べる動物がいる事も知られている。
これは便の中の細菌を身体に取り込む目的と言われる。

私はこれまで様々な形でいろいろな経験を積んだ。
沢水や湧水を飲んでは4~5回ほど下痢を経験した。
最も直近は6年前の日本アルプス縦走時の剱沢テント場。
この時は下痢の辛さで旅の継続を途中で断念した。
そのため細菌の怖さは自分では良く認識している。
それでもその都度経験を糧にその後も沢水を飲む。
沢水が無ければ旅継続(命継続)できないと思っている。

4年前の小辺路・大峰奥駈の旅では賞味期限切れの実験。
冷蔵保存用卵焼きパックを常温で6日間食べ続けた。
5日目頃から少し違和感が出て6日目は結構ヤバかった。
ザックへの保存の仕方もあるが常温で3日程度は大丈夫。
(ただし気温状態も考慮が必要だが)
その後卵は卵焼きパックから生卵で持つ事に変更した。
因みに私は一日最低1個は卵を食べる事を習慣化する。

旅以外でも自宅で肉や魚や野菜で保存限度を試している。
野菜は明確な保存期限は無いが肉や魚は一応表示がある。
だが私は期限過ぎ1週間はよくある。
特に肉は挽肉でなければ結構持つように感じる。
(冬と夏で多少違う)
落語家の故・立川談志は1年以上過ぎた熟成?肉を食べていた。
・立川談志と食(私のパパは立川談志)

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で...

温泉に関しても多少の思い出がある。
昔青森の八甲田山中に田代元湯という湯があった。
廃業した旅館の後に露天温泉だけが残った場所だ。
現在もWikipediaに記載があるが今は廃湯と思われる。
約20年前に年数回田代元湯を利用した時期があった。
秋には落葉で湯が隠れる時もあり清掃状態も良くはない。
それでも自分は汚いと思わず湯に浸かり身体を癒やした。
・田代元湯 (Wikipedia)

北海道を自転車旅した時には羅臼で熊の湯を利用した。
こちらも自然の中の露天風呂で無料の施設。
こちらの露天風呂の清掃管理は毎日されるらしい。
・羅臼町 熊の湯

この他にも登山中に1~2度登山道脇の露天温泉に入った。
それは自然の中にあり岩で囲った所だけ人工の露天温泉。
ほぼ無管理状態と思われるが特に気にせず利用した。
自然状態の中では様々な菌もあり得るが私はほぼ気にしない。
ただし当然ながら身体に危険がないか多少確かめ利用する。

人間は生きていく上で危険とは必ず遭遇している。
その危険は上手に避けて生きていく必要がある。
しかし現代は危険を必要以上に遠ざけようとしている。
それが細菌の話の様に寧ろ人間を弱める事にも繋がる。
ある程度の危険を受け入れる事が人間を鍛える事もある。
その「鍛え」が全く無くなる事は寧ろ人類の衰退に繋がる。

ある程度の危険は避ける。
ある程度の危険は受け入れる。
その塩梅がとても難しいと思う。
ただ今の社会は危険を避ける意識が強過ぎると思う。

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コメント

  1. appleberry より:

    温泉の思い出
    仕事で山奥の方に勤務していたときのこと。集落の入り口近くに温泉が出て、(ボーリングしたのでしょう)そこに置かれた家庭用の湯船ひとつ。仕事帰りに、同僚とすっぽんぽんになって入ったのはよい思い出です。やがて、少しずつ壁ができていって、掘っ立て小屋みたいなものになっていきました。なかなかごうかいな露天風呂の記憶は消えるものではありませんね。

    <人間は生きていく上で危険とは必ず遭遇している。
    その危険は上手に避けて生きていく必要がある。
    しかし現代は危険を必要以上に遠ざけようとしている。

    まったく同感です。危機回避能力は、実際に体験し、身をもって学んでいくものであって、知識だけでは(知識も大切ですが)避けることはできないと思っています。その機会を危ないからの一言で排除したり、他者になんとかしてもらおうとしたりする。ささいな危険から体が学ぶことって、たくさんあると思います。「これは!」という肌で感じるものといったらいいでしょうか。

  2. takenamik1 より:

    appleberryさん、コメントありがとうございます。

    自然豊かな場所の露天風呂を楽しんだ事はきっと生涯忘れられない思い出ですね。
    不便や少し危なっかしいと感じる事が体験に重なると特に印象に残りますよね。
    危険については人それぞれで感じ方が大きく違うため中々難しい部分もあります。
    私の母親は極端な高所恐怖症で少し高い場所になると近づく事ができません。
    所が飛行機に乗る事については全く恐怖を感じない様です。
    「慣れ」と「感覚的」な事の両方を上手くコントロールできれば良いのかもしれません。
    子供時代に様々な危険を経験する事も必要なのではないかな、と思います。
    でも余り危険過ぎる事も事故に繋がる可能性もあって難しい所です。