我慢の限界

1 猛暑の夏
今年は連日の猛暑で熱中症や脱水症が増加。
猛暑に耐えられず高齢者の死亡が増加中らしい。
猛暑に耐えて生き延びる分岐点はあるのかしら?
生活環境(エアコンの有無等)の影響は大きい。
環境要因以外に個々人の忍耐力も影響しそう。

今夏は私自身も体調の優れない日が多い。
毎朝ジョギングを続けているが疲労蓄積気味。
旅に出かける力もなかなか沸いてこない。
自己体力の現状がよく分からないと感じる。
人間は様々な面で自分の忍耐の限界を意識する。

2 ジャニーズの性加害事件と役者
故・ジャニー喜多川の性加害は絶対許されない。
ただここでは別の視点で事件を考察したい。
故人から性被害を受けた少年は多分相当多い。
多分被害を耐え抜いて現在活躍中の人もいるだろう。
ジャニーズは歌手から俳優まで活躍範囲が広い。

俳優(役者)という職業は非常に特殊な職業だ。
演じる役を極めるためには役に完全に没頭する。
そのためには日常生活さえ犠牲にする。
役を演じるため数ヶ月で体重を10kg余増減させる。
役を演じるため歯を数本抜き老け役する人もいる。
特に近年は悪目立ちする役も多くなった。
香川照之や市川猿之助も極端な役柄が多かった。
現実と役の狭間で私生活が狂う事さえあると思う。

役者は演技のためには嫌な役も辞さずに演じる。
役者という職業は好き嫌いが許されない。
厭な事を乗り越えた時に役者として化けるかも?
性被害を乗り越え苦痛を飛躍のバネにしたかも?
しかし苦痛や我慢が限度を超えると悲劇になる。
それが最近の芸能界騒動を表している気がする。
(根拠のない個人推測の私見です)

3 大谷翔平やスポーツ選手の我慢
大谷翔平は3月のWBC以来休まず活躍し続けた。
その影響なのか最近身体不調に悩まされ続けた。
シーズン終了を待たず今年は出場を終えるらしい。
大谷は野球に人生全てを捧げていると感じる。
食事や睡眠も全て野球のため計算し管理している。
それだけ自己管理に努めても手探りも多いのだろう。
大谷は未知の領域で試行錯誤中なのかもしれない。
今年は年始からの活躍が身体の我慢限界を超えた?
大谷に限らずスポーツ選手は絶えずケガと付き合う。
鉄人衣笠祥雄は骨折してなお連続出場し続けた。

相撲では青森出身の隆の里(後に鳴門親方)がいた。
力士としては横綱になり千代の富士と幾多名勝負。
力士人生では糖尿病のどん底時期を乗り越えた。
親方としては稀勢の里や高安を入門から指導した。
親方晩年時に力士暴行事件を起こしその後病死する。
弟子の指導中に角材で殴打した疑惑が指摘された。
角材殴打や暴行の程度は私には分からない。
ただ相撲は格闘競技で取組で流血する事も数多い。
生易しい鍛え方では出世は難しいと思う。
厳しい稽古は弟子を鍛え育てるために行われる。
その猛烈に厳しい稽古に耐えた者が出世すると思う。
暴行と一口で言うが実際は千差万別の様に思う。
昔の相撲稽古では暴行的稽古は多かったと思う。
(根拠のない個人推測の私見です)

4 犯罪者の精神とは
犯罪者の裁判では場合によって精神鑑定が行われる。
犯罪者が犯罪を認めても精神鑑定で無罪の事もある。
私にはこのルールがでどうしても理解できない。
先ず人間の心については未解明な事が非常に多い。
人間の心(精神)とは様々な状況で刻々と変化する。
犯罪者の精神も普段と犯罪時とで全く違うかもしれない。
更に言えば人間は皆違うのが当然で考え方もマチマチ。
それをどこからが正常でどこからが異常と区別できる?
各人の異なる性格や環境等をどう鑑定すると言うのか?
正常と異常の線引き自体が人間の思い上がりに思える。

人は様々だし、自己の思考も絶えず変化する。
無限の変化を見分けて線引きし正常異常を区分できるか?
例えば身近で大切な人が寝たきり状態だったとする。
その大切な人を何年も介護し続けられるだろうか?
私ならその人を殺し自分も死ぬか楽になろうとするかも?
人の気持ちは時々刻々変化するのではと思われるが…
犯罪等も我慢限界を超えた時の事象で人により千差万別。

5 報道機関や政治や会社の限界
報道機関も政治も集団で意思表明をする組織。
集団の中では様々な意見を持つ人がいる。
集団の意思統一はとても難しい様に感じる。
しかし一方で意思表明には迅速性も求められる。
結果的に意思統一が十分でなく意思決定され得る。

報道機関ならばジャニーズ問題への対応。
政治(自民党)ならば統一教会との癒着問題。
会社ならばビッグモーター(BM)の不祥事。
更にBMと癒着した損保ジャパンの経営判断。
報道も政治も会社も全て目先利益優先が後の後悔を招く。
どの組織でも判断に対し異議を述べる人は必ずいる。
最終的に異論を抑え下したトップ判断が誤りに繋がる。

多数で成り立つ組織は皆が様々な我慢を抱える。
そして下された結論も人夫々で感じ方が様々違う。
許容限度に個人差がある時に様々な意見が出易い。
ある人は許されると思いある人は許されないと思う。
そして結果として許されない事をしてしまう事が多い。

6 コロナや病気
3年以上続いたコロナ禍は今も完全収束していない。
それでも徐々に人々の生活は正常に戻りつつある。
コロナが始まった時の世界恐慌は凄まじかった。
世界中がコロナを怖れ世の中の動きが停止した。
コロナに限らず人間は様々な病と向き合ってきた。
結核、ペスト、スペイン風邪、エイズ、等々。
しかし結果的には人類絶滅危機には遠く及ばない。
世界人口80億人の0.1%にも満たない死者数。
勿論人は誰も死を怖れ低確率でも危機は避けたい。
一方で人夫々で生命力や考え方は千差万別。
それを一律に統一する試みはどれほど価値があるのか?

7 現代社会の功罪
個人毎に個性が異なるのは大昔から続く。
集団社会が構築される事で徐々に集団強化が進む。
集団の利益拡大のため個人の個性は抑圧される。

一方で現代はSNSで個人発信が非常に容易になる。
昔は個人の情報発信は簡単にはできなかった。
個人の情報発信が容易になった事は進歩と思う。
しかし一方で偽情報の発信も容易になってしまう。
偽情報の発信防止には中国型監視社会が有効か?
中国型監視社会は一時的に有効でも早晩破綻しそう。
現代の情報過多社会では監視し切れないと感じる。

また情報の悪事利用や不正利用の問題もある。
人間社会は昔から法律と法律逃れの繰り返し。
どれだけ社会が進んでも善と悪の鬩ぎ合いは続く。

8 千差万別の社会を生きる
個人で下す判断は全て個人が責任を負う。
一方で個人が集まる集団の意思統一は相当困難。
そのため代表者を決め最終決断は誰かが行う。
その決断の過程では様々な情報が流布される。
全ての情報は何らかの意図が持ってなされる。
情報は真実とは限らず今は寧ろ偽情報が蔓延る。
現代社会では様々な組織が様々に繋がり合う。
その中で組織は個人より組織の利益を優先し易い。

多種多様の人が多様な考えを持つ中での意思決定。
自分の考えと異なる意思決定がされたらどうする?
私は自分の道は自分で決めたい。
自分の希望と異なる決定なら素直には従わない。
表面的には従う素振りで心では自分の道を進む。

ただし真の正解は誰にも分からないとも思う。
健康問題、加害事件、犯罪裁判、組織、感染症。
全てがその時々で人夫々異なる事を考える。
自分でできる限りの情報と知見を探る事。
それを元に自分が最良と思う道を選択したい。
自分が信じる事をし結果責任も負いたい。

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