東日本徒歩旅は5月1日青森市に到着して終了しました。
少し時間が経過しましたが、その後の経過を記録して振り返りたいと思います。
東日本徒歩旅10日目(H30年4月19日)
天気 快晴
昨夜は荒浜港の片隅にテントを張った。
夜中11時過ぎに機械音が聞こえてきた。
すぐ近くにある魚介処理施設からの音?
12時前に音は止んだ。
野宿した亘理町の鳥の海周辺には温泉ホテルや市場や商店街がある。
まだまだ整備途中のようで「わたり温泉鳥の海」は4月に開館したての立派な建物。
昨日の到着が午後6時過ぎで商店街は1軒を除き閉店後で人は少ない。
3年前にできたばかりの「にぎわい回廊商店街」の今後の賑わいに期待。
3時過ぎには起床し5時前にはテントをたたみ出発。
雲ひとつない快晴で朝日が眩しい。
今日は東北第一の都市仙台の海沿いを進み松島に向かう。
朝8時過ぎに仙台空港のそばを通過すると丁度朝の離着陸の時間帯。
10分間隔ぐらいで離陸する飛行機と着陸する飛行機を目撃する。
亘理町、名取市、仙台市と真っ平な平野部を午前中歩く。
7年前の巨大津波がこの広大な平野を一気に飲み込んだ。
今もその復旧工事が続けられている。
広大な土地の復旧に後どれぐらい時間がかかるだろう?
午後1時半には仙台港の直ぐ側の三井アウトレットパークのラーメン店に入る。
平成20年に開業した施設で東日本大震災時は3か月営業を休止したらしい。
現在は災害の痕跡は全く見られないが相当被災したのだろうと想像するばかり。
注文したのは「元祖仙台辛み噌ラーメン」800円。
味は良いと思ったが、値段が少し…
仙台市内を抜けて多賀城市、塩釜市と進むと少しだけ起伏が増す。
歩行の記録を確認すると仙台まで最大10m台の起伏が20m台になった。
この日は朝から両脇腹に鈍痛を感じていた。
内臓(腎臓か副腎)が少し痛いのかもしれないと感じる。
風が強いこともあり歩く速度を少し遅め(時速4km程度)にして歩き続ける。
その影響かどうか分からないが足の痛みも軽め。
今までは食事休憩後に歩き出すと痛みを感じることが多い。
この日は長めの昼食後に歩いても足に痛みを感じない。
むしろ軽い痛みがあったのが消えていた。
何故だろう?不思議に思いながら歩き続ける。
30分以上歩いた後コンビニ店の外にあったゴミ箱にゴミを捨てようとした。
その時偶然店員さんが店の外に現れた。
コンビニでゴミだけ捨てて買物せずに歩き始めた時に足の痛みが再発した。
これは一体どういうことかしら?
過去の旅行で出会った人に励まされて足の痛みが軽減した経験は数多い。
これは精神的にプラスの作用が働くと痛みも軽減すると思っている。
今回は逆にコンビニに寄り買物せずゴミだけ捨てて少し後ろめたい気持ちがあった。
このため精神的にマイナスの気持ちを感じると痛みも強まるのかと推測した。
私の足の痛みは急性痛というよりも慢性痛のように自分では捉えている。
現実にはマメが出来たり足爪が黒く変色したり足の皮がふやけたりする。
それでも切り傷や打撲と違い一時的に強烈に痛みを感じるのとは異なる。
慢性痛の場合は、気持ちの部分、精神的な要素が結構痛みと関わりがあると思う。
このことも旅行終了後に再考したいと思っている。
この日は今回の旅行中初めて17時前に宿入りした。
宿の受付には我が郷土青森県のヒーロー福士加代子の写真が飾ってある。
全日本実業団女子駅伝でこの地を訪れた際の写真だとのこと。
夕食の時に宿の人に聞いた話では今年3月NHK「鶴瓶の家族に乾杯」の放送があった。
鶴瓶と伊達公子が松島・利府町を旅して向いの「かき小屋」を訪れたとのこと。
震災後も様々な有名人が東北を訪れエールを送ってくれている。
夜明け前の漁港とテント
漁港から眺める蔵王連峰
亘理町に入り遠望する蔵王連峰
被災した空地?に大規模太陽光発電
仙台空港に着陸する飛行機
閖上大橋
仙台市に入る
仙台市立荒浜小学校(H28.閉校後、H29.震災遺構として公開)
白サギ?の集団
「味よし」仙台辛み噌ラーメン
松島海岸沿いの工事
歩行者トンネルと桜
今日の宿「浦嶋荘」とカキ直売看板
04:55 亘理町・発
09:55 ファミマ名取小塚原店(25分軽食)
13:30 三井アウトレットパーク仙台港「味よし」(45分昼食)
16:35 利府町ホテル浦嶋荘・着
歩行時間 10時間30分
歩行距離 44km