徳島から和歌山へ(移動日)

6月8日(土)
天気 曇(最高気温27℃)

08:30 H太陽農園- [徒歩] – 09:15徳島港
11:00 徳 島 港 – [フェリー] – 13:05和歌山港
13:05 和歌山港 – [徒歩] – 14:50和歌山駅
14:55 和歌山駅 – [JR] – 15:26粉河駅
15:30 粉河駅・発 [徒歩]
15:35 マツゲン粉河店(買物・食事115分)
18:40 道の駅紀ノ川万葉の里・着

四国遍路旅は体調改善(主に皮膚炎改善)の実験が目的の一つだった。
この目的については相当程度成果を上げる事ができたと思う。
一方で他の体調面について良い点や不満な点が功罪半ばで現れた。
以下に体調不良な点と体調改善した点を各3点づつ記しておく。
不良点については原因調査と対策を今後考えていきたいと思う。

四国遍路旅中に体調面で不良を感じた事
1 身体内の水分調節機能に異変
(4日目頃極端に濃色小便をしてから水分補給を増やしたら頻尿が続く)
2 旅の後半からバテる症状が早まる
(早朝歩き始めは元気だが徐々にバテが早まり昼前バテる時もある)
3 夜間に足が痙る症状を発症
(旅行4週目頃から夜間就寝中に足痙りが発生しその後毎晩。日中無し)

四国遍路旅中に体調面で改善したと感じた事
1 以前の徒歩旅で感じた足痛や腰痛がほぼ無い
(旅で足痛や腰痛はほぼ無い。但し希に感じる事は有る)
2 皮膚炎の症状が相当改善している様に感じる
(未だ皮膚炎完治まではいかないが痒みの頻度は減少し皮膚状態も改善)
3 排便については旅の後半から順調になる
(生野菜摂取量を多くしてから排便回数が増えて排便も楽になる)

四国遍路旅以降の計画について、
四国遍路旅終了後はいよいよ高野山、熊野古道小辺路、大峯奥駆道の旅。
事前計画では8時に徳島港から出港するフェリーに乗船する予定だった。
ホテルで朝に最終確認をしたら南海フェリーの2船のうち1船が定期検査で運休!
8時のフェリーが運休のため11時のフェリーに乗船するしか方法がない。
ホテルで食事を食べながら今後の予定を再考する。
11時のフェリーに乗り当初の全区間歩行を諦めJRを利用し道の駅を目指す。

フェリー乗場では初老の乗客から「竹輪」のお接待を受けてしまう。
(ホテルの朝食バイキングで腹一杯とは言えなかった…)
和歌山城に立ち寄ると忍者姿のボランティア女子学生から説明を受ける。
和歌山城は昔は国宝だったのだが火災消失し建て替えられた城だとの事。
JRで移動中の車内ではお遍路姿の若者を見かけるが特に会話せず。
粉河駅で降り今後の食料計画を念頭に吟味して食料調達する。
その後夕食を店内で食べる。濡れた靴の乾燥目的もあり計2時間滞在。

夕闇が迫ってきた18時半過ぎに道の駅紀ノ川万葉の里に到着。
営業終了後で天気もイマイチのためか土曜の割に駐車場は混雑していない。
東屋にテントを設営し明日以降の長丁場に備えて早めに身体を休めた。

食事【朝昼】バイキング朝食、竹輪、ソイジョイ 【夕】カツ丼とそば、レタス、人参、キャベツ他

歩行時間 3:20(0:45+1:25+1:10)
歩行距離 16(4+6+6)km
フェリー乗船 2:00
JR乗車 0:30

徳島港へ向かう朝景色
徳島港の景色
和歌山港の景色
和歌山城を見学
粉河町で買い物
野宿地の道の駅紀ノ川万葉の里

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コメント

  1. との より:

    国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)は、日本の文化財保護に関する、廃止された法律。1929年(昭和4年)7月1日施行。古社寺保存法 (こしゃじほぞんほう、明治30年6月10日法律第49号)を引き継いで制定され、 1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行に伴い廃止された。(ウイキペディア)
    ということで、現在の国宝とはレベルが違います。
    出向→出港

  2. takenamik1 より:

    「出向→出港」ご指摘有難うございます。
    「国宝」について、時代が変われば同じ呼び名でも違ってくるのですですね。