5月12日(火)
天気 朝霧のち晴れ
気温 朝は約15℃
昨日から考えた今日の予定は-
-10時に垂水港出発のバスで大泊に向かう-
-バスに乗る前に近所のスーパーで食料調達-
-大泊着後に佐多岬を見学し大泊でテント泊-
海潟さくら公園の近くには漁協の工場がある。
朝の3時頃から車の発着音がする。
6時前には散歩の人が公園を訪れる。
海潟公園から垂水港までは6km1時間半の道程。
昨夜遅く到着したため少し身体休めし6時出発。
早朝の歩道では火山灰や落ち葉を掃く女性と会う。
垂水港の1km手前にスーパーがあり7時10分に着く。
スーパーの開店は9時からのため一旦垂水港に向かう。
垂水港でバス停を確認し港の東屋で休憩する。
スーパーの開店時刻に合わせ出かけ買物を済ます。
10時前に垂水港に戻りバス停でバスを待つ。
垂水港が始発と思うが10時を過ぎてもバスが来ない。
不安が募った10時9分にバスが来てホッとする。
垂水港が始発ではなかった。
コロナの影響の範囲が分からず先々が不安になる。
12時に大泊のホテル前に到着。
2時間の乗車中10人ほどの乗降客は全て地元民。
バスの運転手からも避けられている気配。
ホテルは当面休館。野営場は閉鎖中。
木陰にザックを隠し佐多岬に向かう。
佐多岬手前大型駐車場には管理人がいて通行止。
多分地元の人と思われる管理人と話をする。
誰とも接触しない事で佐多岬までの徒歩許可を得る。
但し佐多岬記念碑から先は工事中のため立入禁止。
駐車場で約15分間に4台ほど観光目的の車が来た。
全て管理人からUターンを求められていた。
佐多岬見学後に大泊野営場に戻ったのは14時半。
野営場でのテント泊は避けトイレ近くにテント設置。
(と言ってもトイレも野営場の一部)
大泊の海を眺めながら今後の旅を考え直す。
予約済みの宿からは未だどこからも宿泊不可の連絡は無。
しかし昨日から今日にかけて多くの休業や立入禁止を目撃。
スマホで田中陽希のグレートトラバース3の一時休止もこの時知る。
鹿児島の状況をネットで調べ今後の宿泊に不安も覚える。
このまま旅を続けるのはリスク大と判断し旅継続断念。
旅継続断念決断後は今後の予定の見直し作業。
先ず青森に帰る手段は効率を考えると飛行機利用。
天気予報では3日後から天気は悪化する予報。
ならば鹿児島空港から羽田経由で青森に帰るのが最善。
飛行機やJRやバスの時刻を調べ安さと効率で比較決断。
鹿児島~羽田 (スカイマーク) 17千円。
東京~八戸 (高速バス) 7千円。
その後は宿の予約取り消し手続き。
夕食後は帰郷決断の是非を自問しつつ眠りに就く。
5月13日(水)
天気 晴れ
気温 最高25℃
当初(旅2日目)は佐多岬往復後に根占公園で野宿予定。
それが1日遅れとなって佐多岬は昨日往復済み。
このため今日は根占公園から少し先まで進む目論み。
今日のコースは昨日バスで通ったコースを逆戻りする。
更には7年前に自転車旅行でも通ったコース。
6時15分に佐多岬を出発し2時間歩くと市街地に着く。
佐多旧薬園を15分見学する。昔は薬草を色々試した様だ。
山間道から海岸道に変わり鹿児島湾沿いを北上。
立神公園や台場公園はキャンプ場があるが自粛閉鎖中。
キャンプ禁止テープがあり立入だけさせてもらう。
道の駅根占は営業が苦しい中で弁当を販売中。
しかし県外客の身としては入館自粛。
当初野宿予定地の雄物川沿いには13時に着く。
13時45分にタイヨー根占店で今夜の食料を調達。
道の駅錦江にしきの里に15時過ぎに着く。
ここにもキャンプ場があるがやはり禁止表示。
砂浜で軽食をしながらこの先の予定を考える。
とても広々とした場所だが道路沿いで車は多そう。
この周辺での野宿は諦め先に進む事にする。
40分歩き17時に錦江湾パノラマパーク駐車場に着。
この先に野宿適地は無いと思われここで野宿決定。
駐車場は車の出入りが多いため場所選定が重要。
駐車場の周囲を植込み囲いした外側に設置する。
多少の狭さと若干の傾斜は許容範囲。
時々車が駐車し人声はするがトラブル無く休めた。
5月14日(木)
天気 晴れ
気温 最高28℃
当初は旅3日目に桜島手前の海潟公園で野宿。
旅4日目に桜島一周後に道の駅垂水で野宿。
旅が1日遅れのため桜島周回せず道の駅に直行。
これで明日予約済みの宿に到達できる。
朝に2人組の野球少年から挨拶される。
その後通りに面した家の男性から「暑さ注意」の声掛け。
コロナ中に旅行する私に対し暖かい言葉に心が和む。
ただ本当にこの日は暑い。
ザックを背負う背中は汗でビショ濡れ。
昨日から皮膚炎の荒療治のため意図的に肌を露出。
皮膚を日焼けさせ自己修復力で皮膚炎の改善を期待。
腕とふくら脛を露出していると徐々にヒリヒリ増。
余り痛くなると時々肌露出を控える。
鹿児島入り後は桜島の噴煙は少なかった。
この日は旅中で一番噴煙が多い。
所々で噴火避難シェルターを見かける。
申し訳程度の数のシェルターと津波やコロナと対比。
人間が防災のため講じる措置には限界がある。
どこかで割り切りが必要なのだと思う。
(自転車旅行記録で噴火と書いたが正しくは噴煙)
(因みに現在は噴火警戒レベル4で危険度大)
野宿地の道の駅垂水到着は16時15分。
最初は無料の足湯に浸かり暫し休憩。
風が強く降灰が舞い上がる。
テントの設営地が悩ましい。
歩き回って風の影響の少ない場所を探す。
最終的に道の駅そばの海岸の土手陰を選択。
時々強風でテントが揺れたが何とか無事に過ごした。
5月15日(金)
天気 曇り後雨
気温 最高24℃
朝6時に道の駅の海岸を出発。
国道220号を歩くと屋根付きのお墓の列が見える。
墓を大切にする風習かネットで調べたら降灰対策らしい。
次に現れた宮浦宮の夫婦イチョウは県の文化財。
次に黒酢の醸造所が群列する通りを抜ける。
その後に県の重文に指定された田中省三別邸を見学。
コロナ閉館せず更に入場料無料はとても嬉しい。
最後は上野原遺跡を目指す。
最初は近道しようと登山道風の道を選ぶ。
しかし徐々にヤブが増し最後は密集竹藪で断念。
この時に枯れ竹は簡単に折れる事を初めて知った。
強風の旅行中に竹藪がバキバキ鳴る事も納得した。
正規の舗装道を辿り直して13時前に遺跡に到着。
最初に展示館を訪れると解説員が優しく声をかける。
県外客の入館は15日間の県内滞在期間が必要との事。
私は不可と伝えると彼女は無駄骨を詫びパンフレットを差し出す。
また復元集落や地層館は見学できる事を教えてくれる。
復元集落と地層館を見学した後はホテルを目指す。
この日は遺跡の前にも一度近道を試みて失敗している。
この日3度目の近道に挑戦し遺跡から最短ルート選択。
3度目の正直で遺跡からの最短ルートは成功。
国分の中心地に近づくと又屋根付き墓に出会う。
桜島から相当離れるが降灰対策なのだろうか?
15時前に宿泊所の近くのスーパーに立ち寄る。
午後から雨の予定だったが雨にあたらずに到着。
夕食の調達のため買い物をした後スーパーを出る。
買い物をしていた30分の間に雨が降り出していた。
宿までは3分ほどの道で雨は強くない。
そのまま小走りで宿に向かった。
宿の受付では県外客の私に対して特別な事は無し。
ホテルの部屋に入り心底ホッとし風呂で汗を流す。
部屋で夕食をとり明日の帰郷に思いを巡らす。
5月16日(土)
天気 雨
気温 20℃前後
ホテルの朝食は当初はミニバイキングの予定。
しかしコロナ対策で個包装おにぎりと味噌汁とコーヒー。
ホテルを出た後は鹿児島空港15時発まで予定無し。
雨の中を駅待合所と市立図書館で時間をつぶす。
図書館にある地元新聞に少し腹を立てる。
鹿児島県知事が県外客は15日の自粛を要請しながら!
自分の応援に来県した自民党重鎮は特別扱いしていた!
13時に国分駅発のバス乗車。13時23分鹿児島空港着。
15時の飛行機に搭乗し16時40分に羽田空港着。
羽田空港から京急線とJRを乗り継ぎで新宿に移動。
新宿の吉野家で夕食を済ませた後バスタ新宿に移動。
バスタ新宿の待合室で3時間以上待機後に23時のバスに乗車。
翌日の8時20分に本八戸駅前到着。
徒歩で八戸駅に移動後青い森鉄道を利用し帰宅した。
コメント
ご苦労様でした。帰りの東京~青森は、どうして八戸経由になったの?
「いいね!」応援ありがとうございます!
12日に旅中止決断後にスマホで交通手段を調べました。
東京から青森までの高速バスもありスマホにも表示されます。
しかし何故か予約しようとしても出来ませんでした。
運行中止なのか、満席で予約締切か、それ以外の理由かは不明です。
因みに予約できたバスは2人掛座席を1人で使う様配慮されていました。
コロナ対策でバス会社も大変だろうなと同情しました。