健康と危険の微妙な関係

今回は献血と血液と健康に関する私見です。

1 病と白血球
昨年後半に風邪(又はコロナ感染?)を患った。
多少の発熱があり更に鼻喉症状が長引いた。
その後今年に入りまた風邪症状が表れた。
今回は先ず母親が発症し次に私が発症した。
母親は微熱と咳と鼻水が2週間ほど続いた。
私は発熱は無く鼻と喉の違和感が続いた。
ただ症状は軽く寝込んだりはしなかった。
ほぼ回復したと感じた頃に献血に出かけた。
しかし白血球数値が標準値内だが少し高値。
その1か月後の献血時にも白血球が微少に高値。
白血球数値はウイルスや細菌の感染時に高めになる。
自分で回復したと思っても体内に残存するのか?

白血球の数値が変化するとはどういう事だろう?
例えて言えば白血球は防衛組織。
防衛組織は平時から見回り等の活動を行う。
しかし平時であれば見回り警戒人数は少数で行う。
平時の小さなトラブルの際は少人数体制で対応する。
だが一端トラブルが拡大したら大規模体制に変わる。
白血球も同様に攻撃の大小で体制の大小が決まる。

人間の体内には絶えずウイルスや細菌が存在する。
白血球は体内の細菌等の動きを絶えず監視している。
細菌等が悪さをしなければ白血球も監視を続ける。
しかし細菌等が増殖すると身体も変化に対応する。
発熱・鼻水・咳・痰など身体で様々防衛反応が起こる。
白血球は体内の状況変化に応じて数を増減させる。
白血球は体内異変の一つの指標だがワンオブゼム。
様々な指標のうちの一つに過ぎないと思われる。

2 献血と血液
つい最近も献血に行ってきた。
今回の白血球数は標準値内で中央値に戻った。
一方で今回は別の観点から注目した値があった。
その値は血小板数と赤血球関係値。

血小板数や赤血球値は以前記事で何度か取り上げた。
血小板数についてはケガ等の時に高値傾向が表れる。
今回の献血は三角岳登山翌日で東岳登山の3日後。
今回の登山では特別にケガする様な出来事は無し。
但し3日間で2回6時間登山をして身体に疲労はある。
肉体的疲労の場合は目に見えない筋肉組織損傷がある。
果たして献血結果では血小板数値は普段より高値。
平常時では血小板が25前後だが今回は29を少超過。
因みに血液数値の分析記事を昨年書いている。
※ 参考 『私の健康情報の管理と分析の話』
外的損傷時の血小板数値の高値化はほぼ間違い無し。
今回は外的損傷時だけでなく内部損傷時も同様と推定。
筋肉痛疲労や内臓等出血時も血小板高値化を強く推定。

もう一つの赤血球関係の値も興味深い。
赤血球は酸素運搬という重要な役割を担う。
過去には運動量増減と赤血球値の増減が連動していた。
運動量が多い時は赤血球数が減り赤血球容積が増える。
今回の献血でもほぼ同様の傾向が表れた。
運動を続けるためには多くの酸素を必要とする。
酸素の大量供給のためには大量の赤血球が必要。
しかし赤血球を増やす事は簡単ではない可能性…
赤血球を直ぐ増やせない時は容積増対応の可能性?
過去の献血データで同傾向が一定程度見られる。
但しケガと血小板数値の関係ほど連動性は高くない。

今回の献血ではもう一つ新発見があった。
以前の献血で血流の事を記事にした事があった。
血流が良い時は献血時間が短い傾向と書いた。
血流が良い事と健康が連動する事を期待した。
今回献血時に腕に刺した献血針先に違和感があった。
痛い程ではないが微かにヒリつく感じがあった。
献血機器グラフを見ている看護婦さんの表情が曇る。
血流が良くない様で献血速度が遅れ気味らしい。
腕に微小違和感のある私は献血針の微調整を提案。
看護婦さんは機器を一時停止し針先の微調整を開始。
腕に針が刺さった状態で微妙な抜き差しを繰り返す。
自分の腕に刺さる針が動くのを見るのは少し不快。
30秒ほど針先を調整した後で献血を再開する。
すると血流は見違えるほど改善したとの事。

血管は必ずしも直線的に延びていない。
身体内の各所で微妙な曲折や広狭があると思う。
例えれば川の曲折や狭い広いがある事と同じ。
川の曲がった所や広い所では流れの遅滞が生じる。
血管でも同様に場所によって流れが悪い事もある。
偶々注射針を刺した位置で流れの善し悪しが変わる。
どうやら血流の善し悪しは運が大きいと今回感じた。
ただ血流改善要因分析はあくまで私の独断推測。

ここまで白血球、血小板、赤血球、血流について述べた。
白血球は細菌やウイルスと関係するが値の見方は難しい。
細菌等と日常的に共存する人間では異常判断が難しく思う。
血小板もケガなどでは数値が高値になる事が分かる。
だがどの程度高かったらケガ疑いがあるか判断は難しい。
赤血球数や容積も様々な要素で変動すると想定される。
要素の一つに運動と呼吸があるがその関連度合いは不明。
そして血流については身体の部位で変動が大きいと推定。

血液の一部の観察だけでも様々な変動要素を実感できる。
そして何かを規定する事がとても難しいと感じられる。
例えば白血球はどの程度の増加を細菌感染と判断する?
例えば血小板とケガ(出血)もどの程度だとケガなのか?
寧ろ感染や出血は日常発生する大小の波と考えるべき?

3 危険の兆候
特定の兆候とその及ぼす影響を予測する事は難しい。
できれば危険な兆候は事前に察知し危険回避したい。
健康診断も危険予測と事前回避の試みの一つと言える。
尿や血液や心電図を調べ悪い兆しがあれば注意を促す。
その事だけを取り上げればとても良い事だと思う。
ところが「悪い兆しの判断」が一筋縄ではいかない。
個人差の大きい診断結果を一括りで善悪判断している。

健康や安全の追求が絶対視され少しでも危ないと悪者。
例えばキノコでは以前は食べたキノコが今は毒キノコ。
つまり誰か一人がキノコ中毒になると毒物扱い。
例え99%の人に異常無しでも1人が死んだら判断変更。
ところが一方では日常食べる食品のアレルギーが増加。
主要食品だけでも「えび」「かに」「小麦」「そば」「卵」「乳」。
しかしこれらは毒物扱いにはされていない。
これらを食べて死者も出ていると言うのに…
勿論これらが全て毒物扱いされたら皆大いに困る。
しかし一方でキノコは毒、他方で日常食品は毒でない。
とても差別的取扱いの様に私は感じる。

例えば高血圧と健康飲料。
「血圧130を超えたら胡麻麦茶」のテレビCM。
血圧が1度でも130を超えたら危険との印象操作CM。
CMでは「1度でも超えたら」とは一言も言っていない。
しかし毎日無意識に聞かされていると印象が変わる。
実際は常時130を超える様なら要注意のハズ。
更に言えば以前は高血圧は140とか150と言われていた。
いつの間にか130を超えたら全員要注意の様な雰囲気。
高血圧の話も既に何度か記事にしている。
※ 参考 『健康検査の基準値について』

政府やファイザーが流すコロナワクチンのCM。
「大切な人のためワクチン接種を考えませんか?」
一体いつまでワクチン接種の宣伝を続けるつもり?
一部の良心的医師や週刊誌ではワクチン疑惑を指摘。
そしてついにはWHOまでも前言撤回し始めた。
※ 参考 週刊現代記事『WHOがヤバすぎる方針転換』
ワクチン接種はメリットよりデメリットが大きい事の暗示。
それだけワクチン接種の弊害(死者や副作用)が表面化。
過去発言との整合上から明言できずWHOは言を濁す。
それなのに日本政府や医薬業界は未だワクチン宣伝。

4 自分の身を守る
人間は健康不安を煽られると安心を求めようとする。
当初はワクチンによって安心できる予定だった。
今はワクチンが新たな不安材料を創り出している。
現在のコロナ感染状況はどういう状況か?
ワクチン接種が低下したら感染状況も低下した。
一時は一生懸命ワクチン接種しても感染拡大した。
この経緯だけでもワクチンは感染防止効果はない。

血液、食品の毒性、高血圧、そしてワクチン。
全ては個々人によって評価が分かれる問題と思う。
それを全て皆同じ指標で評価しようとする事が無理。
政府や報道機関の役割は冷静で公平な情報の提供。
偏った情報提供で民衆を惑わさない事が大変重要。
しかし今は社会全体が偽や偏向情報で溢れている。
自分の身は自分で守るしかないと覚悟の日を生きる。

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