死生観と自分の原点

先日従姉妹との会食の機会があった。
初めて聞かされた昔の話もあった。
そして改めて親や親族に思いを馳せた。
自分の中には親族と共通の血が流れる。
それは自己形成に相当な影響を与える。

私はしばしば健康に関する記事を書く。
また死生観の雑感記事も何度か書いている。
私は死を忌み嫌わず直視したいと意識する。
一方で健康への執着心も人一倍ある方かも。
それらは私に流れる血が遠因かもしれない。

1 早死と縁の深い家系
私の祖父(父方)は36歳で死んでいる。
祖母は8歳~0歳まで4人の子を1人で育てた。
4人の子は、長男が私の父で他に女2人、男1人。
祖母の苦労は並大抵でなかったと推測する。

私の父は67歳で腎臓病悪化~脳出血で死亡した。
父は太平洋戦争従軍を経て32歳で一度結婚した。
しかし子供に恵まれず5年後に最初の妻が死去。
その後41歳で母と再婚し42歳時に初子誕生。
(それが現在の私)

父の3歳下の妹は父41歳再婚時に38歳で死去。
昭和16年24歳で結婚し子供1人を産み14年後の死。
父の再婚の宴席時に妹の訃報が届いたらしい。
父も祖母も再婚の喜びと悲しみを同時に味わった。

父と6歳違いの妹は22歳で結婚し3人の女子を出産。
だが3姉妹が学生時代に夫は妻子4人を残し先立つ。
夫婦は村内唯一の食品店と200坪余(?)の畑で生計。
食品店と畑を順調に運営する事で生活は成り立つ。
一方で年中無休の店と畑を女一人での管理は苛烈。
睡眠2時間生活を長期間続け女3人大学進学させる。

父と8歳違いの末っ子は夫婦共90年健康で生活した。
約10~3年前に夫婦はそれぞれ命を終えた。

2 従姉妹との会話
先日私が会った従姉妹は私より8歳年上になる。
私の父は長男で従姉妹の母は父より6歳下。
父は戦争体験や初婚時の妻死亡で私の誕生は遅い。
一方従姉妹の母は22歳結婚で早くに3人を産んだ。
私にとっては相当年長のお姉さんの様な従姉妹だ。

私の小学時代は叔母の家での夏休みが恒例行事。
私の祖母に連れられ叔母の家に1週間ほど滞在。
叔母の家には畑や店の商品など興味深い物が満載。
畑で採れた果物やアイスクリームを馳走になった。
また畑周囲に用水路もあり様々な虫も見られた。
楽しい事が沢山あり毎年夏季休暇が嬉しかった。

子供心には叔母の家の生活は裕福に見えたと思う。
しかし今回従姉妹と会話して認識を改めた。
私が遊びに行ったのは5~10歳頃までだったと思う。
その頃の従姉妹は13~18歳の中学~高校生の時代。
叔母は1人で3人の子供を養い学校に通わせていた。
年中無休の店の管理と畑の管理と家事を全てする。
そんな所へ祖母と私が遊びに出かけていた。
叔母の負担は相当大変だったと想像させられる。

当時の従姉妹は母親の事をとても心配していた。
日中は店を開いて夜に店を閉めてから畑の収穫。
母の夜間睡眠時間は約2時間で店番中に時々転寝。
このため従姉妹は母が倒れる事をとても心配した。
もし仮に母が倒れたら店も家族も全て破綻する。
だから中学生の従姉妹は母の手伝いをかってでた。
店番だと商品の値段を全て知らないと務まらない。
店番より家事手伝いの方が安心してやれたとの事。
それでも必要な時には店番もやっていた。
考えれば店舗運営も在庫管理や発注等沢山ある。

叔母からは愚痴や弱音を聞く事はほぼなかった。
何時も穏やかな口ぶりで話をする温厚な人だった。
60歳半ばには娘夫婦に店舗経営の主導権を譲った。
老後に漸く外出する機会が増え楽しそうだった。
でも畑仕事はずっと続け時々収穫物を頂戴した。

叔母は家計維持のため身を削り必死だっただろう。
倒れずに生涯家計を守り切った事は心底感服する。
叔母は80歳過ぎまで元気だったが認知症になった。
85歳頃に介護施設に入所し3年余施設で暮らした。
88歳の誕生日に一時実家帰省し子供らと団欒した。
誕生日祝い後に床に就き寝床で食物を詰まらせた。
家族の発見が遅れて88歳誕生日祝いに死去した。

3 私の人生観・死生観
上述した昔話は大半が私の誕生前や幼少期の話。
だから記憶には曖昧や間違いもあると思う。
私の幼少期は決して裕福な家庭でなかった。
ただ幼少の昭和30年代は社会全体が発展途上。
私の周囲でも裕福な家庭は少なかったと思う。
だから裕福家庭への羨望感は強くはなかった。

私は小学生時代に新聞配達のバイトをした。
新聞バイトは2か月余ほど続けた後に辞めた。
小学時代は父が勤める製材業の雑用手伝いもした。
小学生時代何故労働に興味を持ったか定かでない。
朧な記憶では自立への憧れがあったかもしれない。
中学時代は海外で開拓したいと考えた時もあった。

冒頭で私の親族は早死と縁がある事を書いた。
更に祖母や叔母が幼子を抱え苦労した話もした。
私自身は幼少期にそれらを意識した記憶はない。
ただ身近に苦労経験者が多かった事は確かだ。
苦労経験者の影響を知らぬ間に受けてるのかも?

無理にこじつけている感は否めない様に思う。
でも私の人生観や死生観に影響したとも思う。
私は「他人迷惑でない範囲の自由」を強く望む。
人が生きる時には極力他への迷惑は避けたい。
迷惑しない範囲ならば自分の意志で生きたい。
祖母も叔母も女1人の自活は相当大変たった。
それができたのは我武者羅に生きたからだろう。
他人に迷惑しないなら何でもやって生きる。

私はコロナ対策に対して何度か疑問記事を書いた。
自粛やワクチンなど本来は各自が判断する事だ。
感染が心配な人は自粛やワクチンをすれば良い。
気にしない人は自己責任で行動すれば良い。
国や社会が半ば強制的に数年間人の自由を奪う。
その結果打撃を受け生活破綻した人も多数生じた。
生活破綻し命を縮めた人も多かったと想像する。
でも破綻に伴う保障はとても十分とは言えない。
また半強制的なコロナ対策は効果があったのか?
他人を束縛し他人を苦しめたのに責任を取らない。
これは私が望む「他人に迷惑しない自由」と正反対。

コロナ禍時の人の生死に関しても問題が多かった。
当初は軽症も重症も区別せずとにかく入院させた。
無症状でも入院させ結果的に重症者を増大させた。
当初はコロナ感染者は身内さえ看取れなかった。
自分の命や身内の命さえ他人に左右させられた。
寿命間近の人はそれなりに分かると私は思う。
死期の近い人の数日延命にどれだけ意味がある?
今の社会は個人の問題に他人が口出し過ぎと思う。
本来は個人意思が最大に尊重されるべきだと思う。
その上で他人迷惑しない事の配慮が大切だと思う。

私は登山や旅行でも極力自己責任を心掛ける。
だから危険な所も自分の判断で進む時もある。
一方で自分が困難と思ったら無理はしない。
今は山では熊と出会う事も心配される。
それも確率と対策を天秤にかけて適宜行動する。
熊と出会う確率は今は山より里が高いと感じる。
ただ熊好物のタケノコ採りは気をつけたい。

人間は何時か必ず死ぬから諦める事も必要。
私自身も決して簡単に死にたいとは思わない。
一方で死を怖れてばかりいては何もできない。
私は自転車旅でも百名山旅でも危険と遭遇した。
危険を回避できたのは多分に運も味方した。
今後の人生も年齢と共に危険は増す一方だろう。
運を味方にするためにも準備には気を配りたい。
そして行動時には予測と覚悟は常に心掛けたい。

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