四国遍路旅 21日目
令和4年6月4日(土) 松山・和気~今治
天気 晴 気温 19~30℃
1.旅の時間経過・距離
04時00分 起床
07時00分 民宿 上松・発
10時00分 道の駅風早の郷・風和里(5分)
10時51分 浅海大師堂 (2分)
12時00分 遍照院
13時48分 星の浦海浜公園 (18分)
15時10分 54番・延命寺 (20分)
16時20分 55番・南光坊 (20分)
16時50分 スーパーマルナカ今治駅前 (40分)
17時55分 今治・常盤公園・着
歩行距離 42km
歩行時間 9時間10分(休105分除く)
[上り標高計320m/下り標高計320m]
2.遍路道の概要
この日のルートは四国遍路中で高低差が最小かも?
ルートのほとんどは平坦路と言える。
所々で非常に緩い登り下りがあるが気にならない。
延命寺で若干負担のある登り下りがあるが30m前後。
海沿いの歩行が多く晴天時は日陰の少ない道。
3.出来事や感想
最初に良い話と余り良くない話がある。
良い話は私の病気の症状改善の話。
旅の目的の一つは皮膚炎の改善への期待がある。
4年前に発症した皮膚炎は改善と再発を繰り返した。
皮膚炎の原因は特定できていないが食事と推測中。
皮膚炎は治療薬で一定程度症状は抑制できる。
夏季に症状が静まり冬季に悪化の傾向が毎年続いた。
冬季は運動不足なのに食事量は変わらない。
寧ろ在宅時間が増える分お菓子等の摂取が増える。
半年前の冬にも皮膚炎症状が軽度だが現れた。
そして運動による症状改善を期待して旅に出た。
最初はなかなか改善傾向が見られなかった。
旅の最中に度々皮膚の痒みがあり薬も利用した。
そして昨日宿の風呂に入り皮膚の改善が見られた。
一方で余り良くない話は天気の話。
今回の旅は好天に恵まれ雨天の日は少なかった。
しかし遂に明日から雨模様の天気予報が出ている。
明日は山の麓で野宿し明後日が登山の遍路。
明日の東屋でのテント泊時に風雨になると厄介。
応急対策の防水カバーでのテント泊は心許ない。
今日は出来るだけ多く歩き明日の負担を軽減したい。
民宿上松の宿泊者は私1人だけの様だった。
1泊2食料金は8000円と四国遍路民宿では高め。
最近の物価高騰を反映した料金設定かもしれない。
食事は夕食朝食共に部屋食で女将が運んでくれる。
夕食ではご飯のお替わりも運んでもらった。
夕食朝食共に品数多めで私には大満足料理だった。
食べ過ぎた事が原因か宿で2度も排便した。
到着直ぐに入浴でき出発時も玄関で見送り頂いた。
料金以上のオモテナシを十分感じた宿だった。
宿を出発した後は海岸線沿いの歩行が続く。
快晴の青空で天気予報の予想最高気温は30℃。
風は微風程度で日陰の少ない歩道歩きが続く。
出発して最初に道の駅風早の郷・風和里に立ち寄る。
土曜の人混みを通り抜けトイレと水補給する。
中体連大会でもあるのか生徒も多数いた。
その後浅海大師堂(野宿適地)や遍照院を通過する。
初遍路では浅海大師堂そばの海岸で野宿した。
星の裏海浜公園に着いて小休憩する。
ここは2度目の遍路で野宿した地で結構快適。
本来なら大休憩したいが明日の雨対策で早め行動。
15時過ぎに本日最初の寺、延命寺に到着する。
当初計画は延命寺後に野宿予定だったが先に進む。
16時過ぎに次の寺、南光坊に到着する。
この寺は今治駅に近く町の中心街にある寺。
食料調達には困らないが野宿地は少し難しい。
一応出発前に様々な野宿候補地は念頭にあった。
近くのスーパーで食料調達後、最初の野宿候補地へ。
住宅街の中にある常盤公園という小さな公園。
トイレと水がある事は嬉しい。
到着後20分ほど様子観察したが人通りは多くない。
住宅街で人通りが多いと困るがこれなら大丈夫そう。
ここでの野宿を決めて先ずはベンチで夕食を摂る。
その後テントを張り中に入って就寝しようとする。
ところが徐々に人通りが増える気配を感じる。
仕事を終えて帰宅する人が増えて来たのだろう。
それでも公園に来る人はほとんどいないと感じる。
すると8時過ぎ頃にテントそばのベンチで人の声。
何やらスマホで知人と会話遊びの様な話を続ける。
10分以上話続けていた時突然私のテントに気付いた様子。
驚いた声をあげて直ぐに立ち去っていった。
市街地の公園の野宿に危うさを感じつつ眠りに就いた。
4.写真記録
海沿いの涼しげな店の前を通過
ここは未だ日陰道だが…
海岸の石堤の上に謎の物体?
木の棒で作ったオブジェ?
色鮮やか電車が通過
国道196と並行する予讃線
海風を期待して堤防道路を歩く
海風効果は無し
ヤシの木が映える国道歩行
道の駅風早の郷・風和里
満車の駐車場と大勢の人混み
浅海郵便局
この裏手に浅海大師堂
浅海大師堂
商店で鍵を借り野宿できる
初遍路時はこの海岸沿いで野宿
透き通る海が綺麗
今治市菊間の瓦工場通り
お接待処
写真だけ撮って素通り
遍照院 - 山門に鬼瓦?
写真だけ撮って素通り
太陽石油(SOLATO)の石油工場のお接待処
土・日・祝日は休み
電車と自転車が競走中?
星の浦海浜公園(3年前の野宿地)
小休憩する
54番・延命寺の山門
54番・延命寺の本堂
延命寺の後は墓地を通り抜ける
今治北高校前の大通りを歩く
55番・南光坊の本堂
55番・南光坊の山門を出ると大通り(県道38)
今治市役所近くのスーパーで食料調達
(マルナカ今治駅前店)
自動点灯トイレのある常盤公園
ベンチで食事後にテントで野宿
5.ルート図
四国遍路旅 21日目ルート図(Google Map)
コメント
遍照院 - 山門に鬼瓦?というよりは、鯱鉾では?
「鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。また、それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種である。一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている[1]。 大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという(これは鴟尾と呼ばれる)。本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入れて使用したことで普及したといわれている[2]。現在でも陶器製やセメント製のものなどが一般の住宅や寺院などで使用されることがある。(金鯱が京都の本圀寺などにある。)
瓦・木・石・金属などで作られる。城の天守や主要な櫓や櫓門などにはよく、陶器製(鯱瓦)のものや、銅板張木造のものが上げられる。城郭建築に用いられている銅板張木造鯱のもので最大の現存例は松江城天守(高さ2.08メートル)のものといわれている[3]。青銅製(鋳造)のものでは、高知城天守のものがある。」ウィキペディア
トノ さま
コメントありがとうございます。
ブログに掲載した写真が小さい上に画質を落としたため見難い写真だと思います。
私も改めて写真を見直して山門の中の様子が分かり辛いと思いました。
ネットで検索して多少見易い写真がありましたので添付しておきます。
シャチホコは名古屋城の金のシャチホコが有名という程度の認識しかありませんでした。
シャチホコが想像上の生物という事を初めて知りました。
勉強になりました。
また何かありましたら宜しくお願いします(o_ _)o