健康と個人差の疑問

トルコ・シリア大地震では多数が被災した。
死者の数は東日本大震災を上回り不明者も多数。
一方で一週間経過後も生存者発見が続いている。
災害発生72時間経過後は生存確率急減とされる。

厳冬期に建物の下で飲食せず72時間以上生きられる?
自分に置き換え想像すると多分無理だろうと思う。
特に問題なのは「体温低下」と「飲水不可」の2点。
地震発生時刻が現地時間午前4時だと就寝時間。
なので多数は布団に寝た状態で瓦礫に閉じ込められた。
幸運な人は瓦礫の隙間に布団に包まれていただろう。
瓦礫と布団の相乗効果で極寒は多少回避できたかも?

一方で水分摂取についてはほぼ困難と思われる。
布団付近に水分を備えていた可能性は多少ある。
しかし備えていたとしても半日分あるかどうか。
あくまで推測だが生存者は水無しで一週間耐えた。
自分自身に置き換え考えるととても無理に思う。

以前記事にしたが健康検査で夜間水を控え目に異常。
たった半日の飲水制限だけで緑内障疑いと言われた。
結果的に緑内障で無かったが目に違和感は感じた。
また夜間飲水制限すれば朝は喉がカラカラになる。
また登山時の水分節約のため飲水節約実験もした。
2~3日の節水で強烈な目眩を起こした事もある。
飲水節約で各種トラブルを起こした身では過酷すぎる。

一方3年間の百名山登山で身体は変化を感じた。
以前までは誰にも増しての汗かき体質だった。
身体全体の発汗も多かったが特に顔の汗が多かった。
それが3年間の百名山完登後は発汗量が大分減った。
今現在は並の汗かき体質に変わった様に思う。
余談だが発汗減少が乾燥肌進行と皮膚炎発症要因かも
ただ皮膚炎要因は病院診断でなく私の推測。

人によって水分摂取必要量には差があると感じる。
水を多く飲むため発汗量や排尿量も多い人。
一方で水分摂取を控え発汗や排尿も少なめな人。

今回地震のあったトルコ周辺の水事情を少し調べた。
・トルコは海沿いは水が多いが内陸は水不足らしい。
※ 参考 『イラン・トルコの水事情』

・トルコでは干ばつによる水不足でダム建設進行中。
※ 参考 『NHK-世界の水不足事情』
【NHK】今月6日から、エジプトで開かれている、気候変動対策を話し合う国連の会議「COP27」 「水の安全保障」を争点のひとつとしています。いま地球の気温は産業革命前より1.1℃上昇し、これが1.5℃を超えると、後戻りできない、深刻な影響が広がるとされています。ことしは、日本でも「記録的な猛暑」となり、また世界各地で...

推測だがトルコ内陸居住者は日頃から水不足を経験。
このため水不足に耐えられる体質の人が多い可能性。
今回の地震で一週間以上水無しで生存できる一因かも。
勿論水無しで一週間生きられる人は少数だろう。
危機を耐える限度は個々人で差が大きいとも思う。
また水不足に絶えられる体質が健康体質とも言えない。
水不足に絶える可能性やその善し悪しは「藪の中」。

大峯千日回峰行を満行した塩沼亮潤の話を以前書いた。
「人生生涯小僧のこころ」という修行記録の自伝がある。
修行の最後に9日間「断食・断水・不眠・不臥」を行う。
本の中の記述を一部抜粋(随時中略)する。
「一番辛かったのは水が飲めないこと(略)
食べないというのは一番楽(略)
水は一滴も飲まないのにお小水は朝と晩必ず出る(略)
お小水を出す度に体力が弱って(略)
色も黄色から茶色、こげ茶へと変わって(略)
体重も一日一キロずつ何もしなくても減って(略)
脈拍も早く(略)ゆっくり歩いても心臓が120ぐらい脈打ち」
9日間水を飲まない事の過酷さが克明に語られている。
私も3日間節水による酷い目眩の経験を重ね想像する。

「127時間」という実話に基づく2011年アメリカ映画がある。
谷底に落ちた主人公が岩に腕を挟まれ身動き不能になる。
飲食不能で様々葛藤し127時間後に超絶脱出を決断する。
この映画でも人間の生命力や決断力の凄さに圧倒される。
個々の人間には能力や精神力に大差がある事を痛感する。

水に関連して私の緑内障疑惑についても少し触れたい。
以前「身体と水の濃密な関係」記事で緑内障疑惑に触れた。
※ 参考 『身体と水の濃密な関係』記事を書いた。

W杯サッカー日本チームが歴史的勝利しました。 後半の戦略転換の賭けが功を奏した様です。 何か事を成す時には勇気ある賭けも大切です。 失敗と練習の継続が勇気ある賭けに繋がりました。 ※ 参考 タ...
緑内障は眼圧上昇で視神経が損傷し視野が欠ける病気。
眼球には絶えず水分が供給されてレンズが維持される。
しかし供給された水分排出に支障があると眼圧上昇。
つまり眼球への水分の供給と排出の適正維持が重要。
だが例えば糖尿病や高血圧服薬等は眼圧に悪影響。

以上が基本的知識で以下は私の独断的私見。
高齢化すると飲水減少と排尿増加で体内水分も減少。
これにより血液や皮膚等に様々な症状が増え始める。
高齢化による高血圧や皮膚炎も水分減少が一因と推測。
また眼でも高齢化に伴って目ヤニが増加する。
眼圧は房水が関係し目ヤニは涙腺が関係し仕組は違う。
でも元を辿れば血管から滲み出る水分で共通する。
※ 参考 『体内水の循環について』

水分摂取が不足すると目ヤニと同様に眼圧の水が滞る。
その結果眼圧調節水分排出に支障が出て眼圧が上昇。
以上が私の完全推測の私見。
ただ私は実際に水を飲んで眼の症状の改善を感じた。
でも多飲の心掛けだけで水流改善し眼圧改善はしない。
様々な栄養摂取や血流改善が相互作用していると思う。
様々の相互作用の一つに水の適正飲水も必要と考える。

私の眼の話に関連して母親の白内障についての話。
母親は50歳代に眼科で白内障気味と診断された。
医者から処方された2種類の点眼薬を40年近く継続。
ところが話をよく聞くと服用が必要なのか疑わしい。
眼科に通院した際に医者により診断差があったらしい。
ある医者は服薬を指導するが別の医者は不要との事。
白内障は年齢を経れば程度差はあるが全員がなる症状。
私も屋外で眩しさ感覚が強まり出して軽度の白内障。
それでも日常生活に特に支障がないので放置している。
母親の場合も視界に特別支障はないらしく軽度の様子。
それでも医者に脅された?のか、点眼を止める事はない。

もし私が2人の医者で診断が違ったら楽観的に考える。
しかし悲観的な見方を重視する人もいるだろう。
人間の身体は本来は自分が一番良く知っているハズ。
しかし不安になると他人の意見を頼りにしたくなる。
でも他人はその人の身をどれだけ分かるというのか?
もっと自分の感覚を大切にした方が良いと思うが?
ただこれも個々人の性格差であり論じても仕方無い?

最後にコロナの事を少し考えたい。
約半年前青森県は人口比で全国上位の感染率だった。
ところが現在は人口比で全国最小の感染率に変遷。

たった半年で全国上位から最小とはどういうこと?
1年ほど前なら専門家達はワクチン効果と言ったろう。
今もワクチン効果を信じる人がどれだけいるのか?
勿論個々人で感じ方は様々だと思う。
また1年前はスポーツ観戦時の声援は控えられた。
今はスポーツ観戦時に大きな声援がされている。
それでも全国では感染者が減少し続けている。
ワクチンや声援が感染と連動しない証ではないか?

コロナ感染の増減とワクチン接種は無関係だと思う。
完全に無関係ではなくてもほとんど関係ないと思う。
むしろ個人毎の感染し易さの積み重ねだと思う。
個人毎に感染し易い人が感染を拡大する。
そして感染し易い人へ相当感染が進むと収束する。
感染し易い人がほぼ感染し終わる事で波は収束する。
単にそれを繰り返して第○派が繰り返されたのでは?

実際にはワクチンをしても感染する人は多数いる。
マスクや消毒をしても感染する人も大勢いる。
それでも未だにワクチンを継続しようとしている。
人混みでもマスクは推奨されようとしている。

私自身はとても違和感を感じるがこれも個人差の話。
ワクチンやマスクの効果がどれだけか誰にも分からない。
相当の効果か? 半々程度の効果か? ほぼ効果無しか?
大規模な人体実験でもしない限り永遠に分からない。
そして仮に大規模人体実験してもあくまで全体的傾向の話。
個々人を見れば個人差がある事はどうしようもない。
対策しても感染する人や無防備でも無感染の人等千差万別。

興味深い本を2冊紹介したい。

「単純な脳、複雑な私」(池谷祐二著、BLUEBACKS、2013年刊)
脳では意外と単純な仕組みで判断がなされる。
「長い時間一緒にいると好きになる」
「正しさは記憶し易さに規定される」
「正しいは好きの言い換えにすぎない」
人は共有時間が長いほど好感度も上がる。
自分が記憶し易い事は正しい事と感じ易い。
自分が好きな事ほど正しい事だと思い易い。
これらは様々な実験を通して確かめられている。

「集合知とは何か」(西垣通著、中公新書、2013年刊)
世の中には正解が存在しない問題が数多い。
専門家の判断より大多数の判断が正しい事もある。
東日本大震災と原発事故では専門家は無能だった。
しかし大多数の判断が必ずしも正しいとも限らない。
これらの事を様々な例を挙げて説明している。
その上で集合知(多数意見)を機械が補い深める事を説く。

私は自分が多分正しいと思い様々な記事を書いている。
しかしそれは単に自分がそうあって欲しいという期待。
自分の願いや好みを正しいと妄想し書いているだけだ。

一方で集合知の考えを当てはめればコロナ対応も変わる。
みんながコロナを怖いと思っていれば怖い可能性が高い。
ところがコロナを怖がらなくなればそれも皆の気持ち。
集合知については未だ未だ検討余地が沢山ある。
ただ専門家や政治家が強制しようとしても民衆は動く。

中国のコロナ政策転換は民衆が主導したと言える。
コロナの怖さと我慢生活を比較し我慢を止めた。
一時的に感染爆発を起こしてもそれを乗り越えた。
コロナは変異するため未だ克服したとは言えない。
だが専門家や政府には恣意的な民意誘導をしてほしくない。
自分の命の使い方は自分で判断できる世になってほしい。

いろいろ長々書いてみたけれど全て「藪の中」。
真実は誰にも分からない。神のみぞ知る。

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