からだ問題・社会問題・メディア問題

1 紅麹サプリ問題
紅麹サプリによる健康被害が連日報じられる。
健康のため摂取した物が逆に健康悪化させる。
小林製薬には重大な責任があると思う。
だがここでは少し違う観点で問題を考えたい。

私は腎臓に不安を抱えつつサプリを愛用する。
私の父は腎臓悪化が主要因で67歳で死んだ。
私の親類も腎臓が悪くて寿命を縮めた人が多い。
腎臓は年齢と共に徐々に機能が衰える。
年一回の健康診断で私の腎機能も衰えつつある。
一方で私はビタミン類や視覚機能強化サプリ愛用。
サプリは身体の機能劣化緩和に資すると思う。
ただサプリ過剰依存は身体に悪影響有りとも思う。
だからサプリ摂取は功罪両面があると考える。

紅麹コレステヘルプは悪玉コレステロール対策商品。
だがコレステロールは低いと良い訳ではない。
以前記事にしたがコレステロールと食事は無関係。
H28.11.8記事「生活習慣病診断や治療に関する疑問」

記事は「コレステロール値が高くて健康」を紹介。

溝口徹医師が執筆した青春新書が手元にある。
「アレルギーは砂糖をやめればよくなる!」(H25年刊)
本はコレステロール値で善悪判断する弊害を指摘。
本文中の一部を抜粋要約する(本文61~62頁)。
・コレステロールとは血液中の蛋白質の変形
・コレステロールの80%は肝臓で作られる
・コレステロールは蛋白を身体中に運ぶ役割
・LDL値が低いと体内に必要な栄養運搬に支障
・但しLDLが酸化すると身体に悪影響が生じる

つまり悪玉(LDL)だから即不健康なのではない。
悪玉(LDL)は必要だが酸化した場合は悪になる。
私は相当前からコレステロール値を気にしていない。
だが今もコレステロール悪玉説は世に蔓延している。
一度社会に広まった風説の見直しは容易でない。

紅麹コレステヘルプの詳細を私は理解していない。
だがコレステロール値の制御は身体の機能を無視。
善玉(HDL)も悪玉(LDL)も身体に必要な機能。
それをサプリが制御する事など身体への裏切り行為。
私には商品の開発思想自体が問題だと思える。

2 コロナとワクチンの新疑惑
私は過去何度かワクチン効果の疑問を指摘した。
日本政府はワクチン接種を国民に必死に呼びかけた。
多くの国民も政府を信じワクチン接種を続けた。
最初2回で終わるハズの接種は長期間続けられた。
しかしまるで努力を嘲笑う様にコロナは何度も流行。
その度に政府はワクチン効果を喧伝し再接種を推奨。
そして結局ワクチン接種と無関係に流行は沈静化。

ワクチンへの疑義は一部専門家が早くから指摘した。
だが製薬メーカー、多数の専門家、政府、マスコミは疑義を無視。
懸命にワクチン効果を連呼し国民にワクチン接種を呼びかけた。

つい先日医療従事者対象の専門サイトに記事が載った。
メディカルトリビューン」サイトへの徳田均医師寄稿記事
「ワクチンの複数回接種がコロナリスクを招く?!」

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の波がようやく一段落し、市民生活には活況が戻ってきており、今年(2024年)4月以降は治療費やワクチンの公費支援がなくなるなど、コロナ禍も一定の節目を迎えている。しかし、この4年間、他の社会問題を圧倒してこの国を揺さぶり続けたにもかかわらず、COVID-19を振り返る検
記事によればワクチン接種回数が多いほど罹患者数増加。
ワクチン未接種なら罹患率が最低で接種増と罹患増が連動。
そんな事が有り得るのかと様々な要因分析がされた。
だが結果的にワクチンが罹患悪化要因と推定された。
興味のある方は記事をご覧頂きたい。

接種回数と罹患率の連動グラフ

だが製薬メーカーも政府もマスコミも都合の悪い事実を無視。
ジャニーズ問題等でマスコミの企業忖度が批判された。
マスコミ自身の情報選別が被害拡大した事を自戒したハズ。
コロナ報道でもマスコミはワクチン接種を推奨。
だがそれは政府や専門家を信じて報道した事。
当時から一部の良識専門家はワクチン疑義を指摘。
今からでもマスコミには再検証を求めたい。
そして専門家同士の議論の場を提供したら良い。
ワクチン接種を推奨した専門家の意見を聞きたい。
将来同様の事態が起きた時の教訓にしてほしい。

3 自民党裏金問題と変わらない体質
自民党の裏金問題では党内で責任の押し付け合い。
会長が決めたキックバック廃止を誰が復活した?
廃止の話し合いが曖昧なままいつの間にか復活?
更に裏金処理が秘書独断行為で上司は関与せず?

正に醜態で私は太平洋戦争の無責任と同一に思う。
振り返れば太平洋戦争も嘘と責任回避がされた。
被害拡大し戦争継続困難なのに国民を騙し続けた。
戦後の裁判では皆戦争継続責任では口を閉ざす。
天皇を守るためか、自らの保身のためか。
戦争継続はその場の成り行きで決められた。

日本では場の空気を読んで物事を決める。
太平洋戦争でも軍内部の一部に反対論はあった。
日米の戦力を冷静に分析し大差は指摘された。
しかし精神論や日本神格論が冷静指摘を一蹴。
戦局が悪化した時も一部で終戦は論じられた。
だが結局は大声恫喝で醸す空気が異論を封じた。

例えば民間会社で重大問題があったとする。
民間では重大問題は会社の存亡と直結する。
会社存続には消費者への説明と理解が不可欠。
問題の経緯、責任の特定、再発防止は絶対に必須。
平成10年代には山一証券、雪印、船場吉兆等の問題。
何れも杜撰な対応が社会に知られ破綻に繋がった。

自民党は何度も汚職や金銭問題で社会批判を浴びた。
安倍長期政権では桜や森友加計学園問題もあった。
しかし何れもうやむやのうちに幕引きがなされた。
問題が起きたら本来は事の真相を明らかにする。
そして課題を分析し改善が必要なら対策を示す。
それが本来あるべき姿で世直し策だと思う。

ところが最も辛い戦争の反省と分析はその場凌ぎ。
太平洋戦争の実態や教訓さえも風化しようとする。
そして自民党もその場凌ぎを過去何度も繰返した。
それが今の政権の体たらくに繋がった様に思う。
日本は「全て水に流す」という不思議な文化がある。
悪事や失敗を忘れ去り無かった事にしようとする。
そこには失敗を次に活かそうとする勇気を感じない。

4 日本社会の変わらない体質
本来なら教訓は次に活かされる事で更に前に進める。
だが日本社会は教訓を活かす風土に欠けると感じる。
例えばジャニーズや宝塚や吉本や日本大学等。
何れも初期対応を誤り安易に記者会見で弁明する。
しかし虚偽等が発覚して追い詰められ前言を撤回。
同じ様な過ちが何度も繰り返される事を忘れている。

何故毎度同じ過ちを繰り返すのか考える。
日本人は真面目で与えられた仕事はきちんとする。
日本人は自分の周囲の事にはとても神経を使う。
一方で自分と縁遠い事になると関心が低くなる。
身近な事と社会全体の事に対する関心度は大差。

何故こうなったのだろうか?
日本の諺や言い伝えにヒントをもらう。
「泣く子と地頭には勝てない」
「お上には逆らえない」
「長い物には巻かれろ」
「神風が吹く」
何れも「上に従う」「他力本願」を表す言葉。
つまり上の顔色を見て雰囲気を妨げない事に気遣う。
日本人は親から子へ代々気質が受け継がれたと想像。
勿論異論がある人もいるとは思う。
だが何度も同じ過ちの繰り返しを見ると体質と思う。

つまり自分の会社の中の事には一所懸命。
ところが会社の外の事になると途端に無頓着。
全く無頓着ではないと思うが他人事として扱う。
だから他で起きた事は自分とは無関係と見做す。
他で起きた事を自分事として置き換える事をしない。
仮に自分事と考えて上司に進言しても一蹴される。
旧来体質が続く事で有意な新人も何時か社風に染まる。

5 メディアの役割
本来メディアは物事を様々な切り口で伝える機関。
全く同じ事を伝えるなら多数のメディアは不要。
そして以前のメディアは各社毎に特色があった。
しかしコロナとジャニーズで私は不信感を持った。

コロナでは大手メディアは全て製薬メーカー追随。
私が知る限りワクチン対策に疑問意見の報道無。
民放はCM関連でワクチン批判は困難かと思う。
だがNHKなら忖度不要と思うが批判は皆無。
更にワクチン未接種感染した舘田教授を重用。
様々なニュースで頻繁に舘田氏がコメントした。
舘田氏は自分は未接種でも他人に接種を勧めた。
その舘田氏に前述グラフの感想を聞きたい。

また浜松市では市独自でコロナ関連データ集計。
その中で同様にワクチンに疑問のデータがある。
・直近では高齢で接種回数が多いほど感染し易い
・若年ほどコロナよりインフルの方が死亡率高い

以前にも浜松市分析や舘田教授の事は記事にした。

前回記事で紹介した「サピエンス全史」の要点。 人類は「言語」と「虚構(フィクション)」で変革した。 「言語」も「虚構」も実態がなく動物には理解できない。 他の動物は危険か安全かで仲間と連絡を取り...
これらのデータを今専門家はどう分析するのか?
それを検証するのがメディアの役割ではないか?
過去のコロナ対策は果たして有効だったのか?

またジャニーズでもメディアは忖度を続けた。
テレビではジャニーズの会社に大きく依存。
社会問題が大きくなり始めてメディアは動いた。
この事でメディアの信頼は大きく傾いた。

メディアが扱うか扱わないかの格差は甚大。
一般人はメディアが報じない事は「無い事」と同義。
今ならば大谷に関するニュースはとても多い。
ほぼ毎日大谷に関する何らかのニュースに接する。
私自身も感心はあるが余りに多過ぎると思う。
それより報じる必要のあるニュースは無いのか?
また台湾の大地震も毎日トップで報道される。
ここ数日は6名の不明者の安否が毎日報道になる。
一方でガザやウクライナの報道は少し減っている。
更にミャンマーではクーデターから3年経過した。
今はクーデター軍と民主派が内戦の状態にある。
様々なニュースはメディアの一存で配分を決める。

その配分が余りに片寄る状況はとても不安。
中国もロシアも北朝鮮も情報統制で民意操作する。
メディアは中立でなければならないと言われる。
犯罪報道では被害側と加害側の主張を併記する。
裁判でも検察と弁護側の双方の主張を伝える。
だがニュースに取り上げるか否かは報道側の一存。
ニュースにならないと人々は知る機会さえ無い。

コロナの場合は政府や特定多数専門家の意見だけ報道。
ワクチン批判の意見はほぼ抹殺されたと感じられた。
せめて批判を紹介し政府・専門家の反論を聞きたい。
何が正しいか人間が容易に判断できるとは思わない。
人間にできるのはデータを集め様々な議論をする事。
議論を尽くさなければ道を誤る危険度が増すだろう。
メディアには議論の場を設ける役割を期待する。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする