6月11日(火)
天気 雨-曇(最高気温24℃)
05:20 三浦峠東屋・発
09:20 昴の郷(30分)
12:50 果無峠
15:15 道の駅奥熊野(15分)
16:30 熊野本宮大社(15分)
17:45 温泉民宿大村屋・着
昨夜も真夜中にピューィ?の鳴き声で安眠妨害される。
三浦峠で野宿した翌朝は雨模様。
雨が降ったり止んだりの天気で防水対策して出発。
峠ピークで野宿したので最初は下り道が続く。
途中で「出店跡」という石垣で整地された場所を通過。
昔はこんな山奥高地の狭い土地にも人が住んでいたのか?と驚く。
標高1050mの三浦峠から標高差800mを下ると西中地区に着く。
山道から国道425の舗装道になり民家が現れる。
川沿い道を1時間半ほど歩くと串崎地区に着く。
民家が点在する山奥の集落で大規模な土木工事が進行中。
偶々民家前にいた老婦人に何の工事なのか尋ねる。
小さな山を削って平らにしている工事だとの事。
老婦人は工事目的を知らないそうだが最近多発する災害対策かしら?
串崎地区から20分ほど歩くと「昴の郷」に着く。
昴の郷には立派な温泉や宿泊休憩の施設がある。
雨のため人影がまばらで軒先を借りて休憩する。
雨天時は徒歩途中で休憩しづらいため30分間集中休憩して出発。
次は標高150mの昴の郷から標高1050mの果無峠へ標高差900mの登り。
昴の郷から40分ほど登ると果無集落がある。
雨で見通しが悪いが20戸?ほど民家が点在している。
ルート沿いには水場もあってとても助かる。
ただ雨が続いていたため少しだけ喉を潤して足早に先に進む。
果無峠手前の標高830m地点に果無観音堂がある。
ここにも水場とトイレがある。
昨夜三浦峠にあったトイレで用を足したがここでも又用を足す。
旅行中こんなに短い間隔で用足しする事はメッタに無い。
生野菜を数種類買って毎日食べた成果がよく現れたらしい。
昴の郷から3時間登って果無峠に到着する。
果無峠ピーク到着が12時50分。後ろから音が聞こえる。
誰か来たのだろうか?
峠を少し下った先で音の主が現れる。
昨日五百瀬で出会った男性だった。少し話をする。
男性は一昨日地元の鳥取を発ち高野山の宿坊に宿泊。
昨日と今日の2日間で小辺路ルートで熊野本宮まで歩く。
今日は熊野に宿泊し明日、田辺~大坂~鳥取とバス3本乗り継ぎ帰宅。
私が彼に「歩くペースが早いが何かやってるの?」と尋ねる。
彼は「100kmウォーク大会に頻繁に参加している」との事。
普段から歩く事を趣味にしているが登山はしないらしい。
私の方は2日前の高野山の時から時々足に違和感を感じ出した。
臀部と大腿部の付け根周辺に痛みを感じ始めていた。
長期間長距離を歩き続けて金属疲労ならぬ筋肉疲労が現れたのか?
一方で頻尿が一向に改善しないため最近水分摂取を減らしている。
もしかして水分摂取不足と痛みが関係あるかもしれない。
また塩分摂取も不足気味かもしれない。
果無観音堂で調達した水を多めに飲み塩分ミネラルも摂取。
すると大腿部の痛みが消えた。ビックリ!
水(と塩ミネラルも?)の摂取不足が痛みと関係するのか!?
果無峠から2時間半で道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に着く。
雨がほぼ止んだので雨合羽等をザックに収納する。
また明日以後の食料補充のためおにぎり2個とキャベツ半個を調達。
道の駅を出発後は国道168を歩いて熊野本宮大社に向かう。
(道の駅~熊野本宮区間は熊野古道を経由せず)
熊野本宮大社では鳥取男性と通算3度目の出会い。
鳥取男性は道の駅から熊野古道ルートを歩いて大社に来ていた。
互いに今後の活躍を誓い合って別れる。
熊野本宮大社は参拝順序が決まっているが逆順序で参拝してしまう。
参拝した後に団体旅行が到着しガイドの解説で正しい参拝順序を知る。
熊野本宮大社参拝後は店でお土産を買ってから予約した宿を目指す。
結構バテていたが宿の予約時間が迫っていて余裕が無い。
最後の力を振り絞りスピードアップして予約した宿に向かう。
最後は5kmを1時間で歩き予定15分前の17時45分に温泉民宿大村屋到着。
熊野の宿は料金が高めだが大村屋は格安プランを利用できた。
ここの宿は観光客というよりはアユ釣り客が多いらしい。
アユ釣りはもう解禁されたらしいが時期が早いのか未だ釣り客は少ない。
お遍路道からは少し離れるが格安で温泉に宿泊でき部屋も接客も良好。
食事【朝昼】お握り、卵焼、野菜各種、ソーセージパン、ソイジョイ 【夕】温泉宿の夕食
歩行時間 11:00
歩行距離 38km
末尾には(旧)ルートラボと(新)Ridesのルート図を併載しました。
小辺路旅3ルート図(ルートラボ版)
小辺路旅3ルート図(Rides版)
コメント
ミニ知識 熊野本宮大社 明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りすることとなりました。他八社は石祠として旧社地大斎原おおゆのはらにお祀りし、現在に至っております。(熊野本宮大社 HPより)
旧社地は熊野川の川原にあり、広大な敷地で現存していたら巨大な建物であったことがうかがわれます。(との)
本宮が明治時代に大水害にあっているとは…
自然の脅威を忘れてはいけないですね。
川原の大きさは遠望でも圧倒されます。
甲子園何十個分にもなるのかしら?