6月2日(木) 25日目 52番太山寺~53番円明寺

天気 晴

今日の天気は快晴。
日差しは強かったが風が吹いて心地良い感じがした。
昨日スマホが何とか復活したおかげで今日は昨日行くのを止めた松山城に寄ってみる。
松山城の石垣は規模が大きく配置がきれいな曲線で美しく素晴らしかった。

太山寺は松山市内にある。
太山寺への道はそれほど起伏がない道を進む。
太山寺の最初の門に到着してから長い。
山門をくぐった後に登り道が続き、しかも一旦民家もある公道?を通る。
道を間違えたかと不安になったが、そのまま進むと太山寺が現われた。
太山寺の本堂は国宝!
長い年月を経た堂々とした本堂だ。

太山寺を打ち終え次の円明寺に向かう途中の公民館で昼食のお接待を提供していて、世話役の男性に呼び止められた。
丁度昼時で、ありがたく頂戴した。

世話役男性の話によると、月に一度ここでお接待を行なっているとのことで、とても運が良い時に通りかかった。
今月は昨日と今日の2日お接待をしており昨日は4人しか提供出来なかったが今日は昼の時点で13人。
その日によってお遍路さんの通る人数は相当バラツキがあるようだ。
世話役男性の話では、四国全域で年間約5000人の歩きお遍路さんがいるのではないかとのこと。
私が前に本で読んだ時の1000人とは大きな開きがある。

私より少し先に到着し昼食のお接待を受けている男性とも話をしたが、男性が歩き遍路を始めた時、偶然出会ったお遍路仲間20人で一緒にスタートした。
しかし徐々に足の具合の悪い人がリタイアしていき最後は3人になったという。
歩き遍路の数は様々な状況で大きく変化し、実態を把握するのは難しいようだ。

歩きお遍路の男性は私より5歳年長。
男性は歩き遍路の人がリタイアする原因として、雨対策の不備が大きいという話もした。
普段履いている靴をお遍路に使い大きいマメを作ってリタイアした人もいて、やはり良い靴を履いていれば雨の時でも全く濡れなかったしマメも全く出来ていないと話していた。
私の靴とは随分違うと思った。
私の靴もそこそこ値段は高いが、更に値段の高い靴はもっと性能が良いのだろうか?
その後その男性とは暫く同道し、53番円明寺を打ち、男性の宿泊地の北条付近まで一緒した後、私は更に先に進んだ。

今日の野宿地は今治市浅海の海岸。
最近寝床に敷く空気マットが少しヘタってきて寝る前にためた空気が朝起きる段階では約3分の2位に減少している。
全ての物は必ず劣化する。
寝床で、昼食のお接待を一緒に頂いた男性の防水靴の事を思い出した。
彼の高価な防水靴と私の少しヘタった防水靴は、例えてみるとコール君と私。
コール君の方は完全無欠で順調な歩きに対して、私の方は道迷いやスマホトラブルにも遭遇しながらやっと歩いている。
でもどちらも歩いているのは同じ。
靴についても、男性の靴は快適に歩ける靴で、私の靴は水濡れに遭遇し不満もありながらも歩けている。
自分の身体も60歳に近づき大分ガタがきているが、まだまだこの身体を有効に活用したいと心に誓った。


立ち寄った松山城の立派な石垣


松山城


松山市内を走る電車に掲示された俳句甲子園のPR文字と「幽霊はコワイけど、おじいちゃんになら会いたいな」


太山寺への遍路道は松山英樹ゴルフセンターを左折する(松山英樹は松山市の出身!)


太山寺の本堂は国宝!


昼食のお接待を頂いた公民館


お接待された皆さんと記念撮影。
大変有難うございました


昼食を一緒にした男性が円明寺で托鉢者にお接待


海岸沿いの道を歩く


高浜虚子俳句脇に昭和天皇お手植えの松


高台から浅海の町並みを見下ろす


本日の寝床浅海海岸

09時15分 ホテルを出発
09時50分 松山城に着
12時10分 52番太山寺に着
13時05分 公民館でお接待昼食(40分)
14時05分 53番円明寺に着
18時10分 浅海の海岸で野宿

歩行時間 7時間20分
歩行距離 34km

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