「田部井淳子の歩んだ道」
今日、青森市で表題の講演会が開催された。
田部井淳子さんは10月20日に亡くなられた。
当初はご本人が講演される予定だった。
亡くなられて2週間余、夫の政伸氏が代役として座談型式で講演された。
淳子さんは幼少期は運動が苦手だった。
小学校時代に良き指導者に出会い登山に目覚めた。
速さを競うスポーツでない事、己の力だけが頼りという事が、登山好きの理由。
20歳代で政伸さんと登山で知り合い、助け合えるパートナーと互いに納得し結婚。
30歳代で女性世界初の世界最高峰エベレストに登頂成功。
この時の登山途中のテントの中で雪崩に襲われ、人生で最悪の苦難を体験。
一緒に登頂を目指す女性群から登頂断念を勧められても登頂できると主張を貫く。
50歳代で女性世界初の世界7大陸最高峰の登頂に成功。
10年前の60歳代で乳ガンを発症。
71歳の時に東日本大震災を経験し、福島三春町出身の淳子さんは活動開始。
震災翌年の2012年から東北の高校生の富士登山活動を企画・実施。
この時期に腹膜ガンを発症していたが周囲の人には知らせず。
主治医の話によるとガンと知っても動揺する様なことはなかった。
山で苦難を経験し死と向き合ってきた人間は残された時間を冷静に尋ねたらしい。
今年2016年も富士登山に行ったが足が弱まり本人は山頂までは登れなかった。
9月までは本人が青森に来る予定だったが、ガンの進行で止むを得ず夫に代役依頼。
亡くなる数日前に夫への感謝を綴り、亡くなる直前山の絵を書き亡くなった。
死の間際まで他人への思いやり、身内への感謝、自分の意志を貫いた人生。
時々テレビで拝見した田部井淳子さんは穏やかな語り口で優しそう。
講演では、ガンが進行し周囲が登山中止を進言した際に淳子さんは「何故もっと前向きに生きようとしないの」と周囲に対し苦言を呈したというエピソードが紹介された。今回の講演会で田部井淳子さんの強い意志、前向き、冷静さ、山への熱烈愛を知った。