五十路の卒業と同世代知人との別離

先月の11月に晴れて五十路から六十路になった。
当ブログ「五十路日本ひとり旅」の今後を考えないといけない。
60歳になる私にとって今年は特別に記憶される年になった。

私と同年代の繋がりの深い二人の知人との別れがあった。
一人は退職前の最後の職場で2年間仕事を共にした人が5月に死去。
もう一人は高校時代から付き合った40年来の友人が11月に死去。
謹んでご冥福を祈る。二人共に、脳のガン系の病気で死去。
約60歳の二人が似た様な病で同じ年に亡くなるとはショック…

二人が現世に別れを告げた事実について考える。
二人の性格は対照的。
2年間職場を共にした元同僚は部下思いで多くの人から慕われた人。
殆どグチを言わず気さくに誰とでも話し仕事も早く熱心だった。
一方高校時代の友は無口で真面目で世渡りや人付合いはあまり得意でない。
しかし責任感が強く仕事に全力で取り組み職場でも役割は多かったらしい。

一方で二人には共通する点もある。
・仕事には熱心に取り組む。
・仕事で精神的・肉体的に負担があっても弱音は吐かない。
・自己主張は内に秘めつつ表面的には穏やかで家族思い。
・慢性的な持病があった。
・運動不足(運動嫌い?)で食生活は偏り気味。

二人とも亡くなる間際まで家族には気丈に振舞ったらしい。
回復が望めなくとも「最後まで諦めず頑張る」姿を示した元同僚。
痛みに苦しみつつ緩和ケアは最小限にし家族の金銭面を気遣った旧友。
旧友は亡くなる前までうわ言で仕事の事を気にしていたらしい。
一人は脳腫瘍、もう一人はガン性髄膜炎。

脳とガンの関係についてはH29.2.3.掲載ブログで触れたことがある。
脳にガンが転移となれば絶望的な状況。
そんな中で「極端な食事療法」で奇跡的に回復した実例が海外にある。
果たして自分がそんな立場になったらどうするだろう?
回復に見込みがない状況ならば危険な賭けに望みを託すこともあるかも…

二人の通夜に参列し家族の話を聞くと、無念さが滲んでいた。
何故、二人ともに突然に絶望的な病に侵されたのか?
最後まで気丈で家族思いだったことが悲しみを増した面もある。
家族には、無念さと後悔が残り、気の毒としか言えない。

人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。
「山の遭難」(羽根田治著、H22.1.平凡社新書刊)で紹介された遭難事故。
26歳の東農大山岳部OB松濤明が友人と昭和23年12月槍ヶ岳に登山。
途中で猛吹雪に遭遇。力尽きた友人を見捨てられず自分も死を決意。
死の直前まで冷静にメモを残し、優しさ、冷静さ、精神力に胸を打たれる。
何故か私の二人の知人の死と重なって心に迫るものがある。
松濤のメモは後に「風雪のビバーク」として書籍となる。

このブログの中でも、人の生き方を考えてきた。
自分の人生の残り時間は分からない。長いかもしれないし意外と短いかも?
できるだけ後悔の少ない生き方がして残された時間を有効に使いたい。
今までブログに掲載したものを少し見易くまとめたい気持ちもある。
60歳になったのを一区切りにブログからホームページへ切替を準備中。
何とか年内にホームページを立ち上げたいと思っている。
準備ができたら当ブログでお知らせしますので、また宜しくお願いします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする