先日まで「みちのく潮風トレイル」旅に出掛けていました。
当初の予定は7月19日~8月3日まででしたが台風8号が接近しました。
このため予定を切り上げ7月27日に帰宅しました。
7月26日にK先輩が亡くなられ30日に通夜がありました。
旅を続けていたら知らないでいたかもしれません。
K先輩は平成28年の四国遍路旅の帰宅時空港に車で出迎えてくれました。
帰る日時は誰にも言っておらずまるで超能力で来てくれたと驚きました。
今回も亡くなられた日に台風接近で帰宅を決断したのは運命的に感じます。
私は20歳代の前半から40年以上お付き合い頂きました。
職場が同じ時はありましたが一緒に仕事をした事はありませんでした。
それでも飲み会を重ね続け最盛期は午前様を繰り返していました。
朝日が登る時間まで飲んだ事も2~3度ありました。
余りに飲み会が多過ぎた事が離婚の一因かもしれず多少責任を感じます。
大抵は馬鹿騒ぎの飲み会でしたが仕事の悩みを相談した事もあります。
10歳先輩という事を感じさせずとても気さくな友達の様な人でした。
話し易い雰囲気の人で様々な分野に友人がいる様に思っていました。
しかし本人は「暗い性格で社交的でなく孤独が好き」と語っていました。
私と同様に一人で旅に出る事も多い様な話もしていました。
でも孤独の好きな人が超能力を発揮して出迎えたりはしないでしょう?
孤独と人が恋しいという気持ちの両方あったのかなと思います。
20年以上前に先輩の自宅が火事になりました。
原因は自宅に併設していた店の借主の過失によるものでした。
火事の後に立て替えた家も大工の施工不良に泣かされた様でした。
それから数年後ぐらいと思いますが心臓にペースメーカーを付けました。
火事の頃を境に人生の潮目が変わったのかもしれません。
それでも無事定年退職し第二の人生を楽しもうとしたと思います。
3~4年ほど前久しぶりに会っ時は痩せて別人かと思いました。
先輩の話ではペースメーカーの不具合があった様でした。
先輩の人生の終盤はご苦労が続き大変だった事と思います。
それでもきっと充実した人生を送れたのだと思います。
趣味と仕事を兼ねた民俗学やイタコの話はよく聞きました。
映画も鑑賞する以外に実際の撮影の手伝いもしていました。
寺山修司の話もよくしていました。
飲みの後に家に遊びに行き子供達とも遊んだりしました。
仕事、趣味、家庭、それぞれに一生懸命生きたと思います。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
コメント
何というか、私が高校2年の時に部活の調査で恐山であってからの付き合いで、それなりに性格も知っていたし、何も言わないで2人でいてもお互いそんなにどうのこうのということもなく、2度仕事も一緒にしたけれど、なんだかんだあっても、次に会うときは何にもなかったように飲んで話していた。ペースメーカーの不具合で、東京でバチスタ手術をしたけれど、どうも心臓には欠陥がなかったようとのことであったが、その後、あまり調子が良くない状況が続いて、あまり人と会いたくないようであったので、私も遠慮して最近はずっと連絡していませんでした。今では、県内ばかりではなく、東北各地を回り調査と温泉の旅を懐かしんでいます。50年以上の付き合いに感謝しご冥福を祈っています。
東北各地の調査と温泉の旅はいいですね。
K先輩も「車で長距離の一人旅を楽しんでいる」様な話をしていました。
私も百名山の旅では3日間かけ青森から鹿児島まで移動しましたがK先輩は1日で京都方面?に行った様な話を聞き驚いた記憶があります。
今はきっと冥土?(霊界?)の旅を楽しんでいる事だと確信しています。